2021.9.29
キャンプにトラウマのあるおじさんが、最新アイテムでリハビリ庭キャンプ
その昔、謎の集団に誘われて参加した人生初キャンプは苦い思い出となった
飲み会や大規模イベント、観光地めぐり、海外旅行といった平時の楽しみの多くが失われ、余暇の過ごし方の抜本的見直しが余儀なくされた昨今。
家族や気の置けない仲間たちとのキャンプやグランピングなど、密にならない外遊びが人気となっていることは、ご存知の通りです。
ホームセンターに行けば、ちょっと前には考えられなかったほど、キャンプ道具コーナーが充実しています。
山中湖村に数多あるキャンプサイトは、休日ともなるとたくさんのテントが並び、大にぎわい。
雑誌やテレビなどのマスメディアはこの空前なるアウトドアブームを煽っているし、SNSを覗くと昔はアウトドアなんて興味なかったはずの友人までもが、キャンプを楽しんでいるご様子です。
キャンプに対する精神的障壁が、かつてないほど低くなっているのは確かですが、僕はといえば、いまだ頑なにキャンプを避けています。
かつて一度だけ、テント泊をするちゃんとしたキャンプに参加したことがあります。しかしそれは、かれこれ28年も前のこと。
たった一度のキャンプ体験は1993年の初秋、僕はまだ20代前半で駆け出しの編集者でした。
仕事を通して知り合った年かさ(と言っても、現在の僕と同じ50歳前後だったと思いますが)の出版関係者から「身ひとつで来ればいいんだから」と半ば強引に誘われ、彼が所属するアウトドア愛好グループのキャンプ会に、全部お任せで参加したのです。
キャンプサイトには、チラホラと知った顔を含む10人くらいの年配男女と、僕のようにただ誘われて参加したのであろう3人の若者がいました。
テントやタープの設営、焚き火の準備、食事づくりなどキャンプの基本ノウハウを教えてもらいました。そして日が暮れると、みんなでバーベキューをやってお酒も入り、焚き火を囲んで和気あいあい。
初心者ながら「ああ、キャンプって確かに楽しいかも」と思いはじめたとき、会は妙な雰囲気になっていきました。
年配者の一人が焚き火の横でおもむろにアコギを構え、「ともよ〜」などと古のフォークソングを歌いはじめたのです。
他のおじ&おばさんも、いつの間にか声を合わせています。
ははあ、と僕は察しました。
先輩がたはその歳の頃から言って、反戦フォークや労働歌、ロシア民謡などに親しんだ“うたごえ喫茶”世代。安保闘争に身を投じた学生運動家あがりや、ヒッピーあがりの人もいるのでしょう。
そして僕は、先輩たちが繰り出す歌の中で、60年代のフォークソングならよく知っていました。
パンク好きとして反体制ロックの源流を探るうち、自分が生まれる前に流行った国内外の反戦フォークに興味を持ち、一通り聴いていたからです。
同年代の友人にはあまり理解されない趣味でしたが、なるほど、このくらいの歳の人にはリアルなんだなと思って楽しくなった僕は、調子に乗っておじさんやおばさんと肩を組み、ギターに合わせ熱唱しました。
岡林信康の『友よ』、ピーター・ポール&マリーの『パフ』、高田渡の『自衛隊に入ろう』、バリー・マクガイアの『明日なき世界』、ザ・フォーク・クルセダーズの『イムジン河』といった有名な反戦歌を。
僕以外の若者3人は、その様子をただポカンと眺めていました。

何がしかのムーブメントを伴うカルチャーであれば、どんな思想を背景に持っていようとも面白いと思いがちな僕ですが、実はただのノンポリミーハー音楽マニア。
でも諸先輩がたは「お、いまどき見どころのある若者だ」と誤解したようです。
のちに判明するのですが、そのアウトドア愛好グループというのは、出版業界数社のメンバーによって形成された左翼系サークル。
業界に足を踏み入れて日の浅い僕ら若者は、オルグ対象者としてキャンプに誘われたようなのです。
白々と夜が明けるころ、僕はテントの中で一人、「あれはちょっとまずかったな」と後悔していました。
テントのファスナーを開けてそろそろと外の様子をうかがうと、ヒゲづらの先輩が歯を磨きながら「おお起きたか、同士よ」と満面の笑顔で迎えてくれました。
屋外の非日常空間で一夜を共にすると、日頃は覆い隠されている人の本質のようなものが垣間見えることもあるのでしょう。
そこがキャンプのいいところと言う人もいるのでしょうが、僕は大いなる不安を感じ、それ以来「キャンプって怖ええ」と避けるようになったのです。
