2021.3.17
「富士山のふもとに住んで、噴火とか怖くないの?」と聞かれたら答えます。「お前もな」
2011年3月11日のあの瞬間、僕は築50年の古家が崩れないかと怯えていた
本コラムの初回でも書いたように、しがないフリーランス稼業の僕は、東京での住まいは“絶対賃貸派”を宣言し実行しています。
2011年当時は、3年間限定の定期契約で借りていた築50年近い一軒家に住んでいました。
その古家は経年変化で各所がそれなりに傷んではいましたが、広い庭を望む縁側と、襖・障子、鴨居・欄間、板の間などがある和室中心のサザエさんちのような家で、とても気に入っていました。

僕は2階に増築されたサンルームを自分の部屋と定め、いつもそこで仕事をしていました。
あの瞬間も……。
はじめはカタカタと小さな揺れで、じきに収まるだろうと思っていました。でも次第に揺れ方は激しくなり、棚から本がバラバラと落ちてきたので、僕はとっさにベランダへと逃れました。
僕の家がある東京23区西部は震度5弱の揺れだったそうですが、古い木造家屋だったからでしょうか、体感的にはもっと大きく感じました。
1995年に発生した大地震のニュース映像が頭をよぎり、我が家はつぶれてしまうのではないかと心配になってきました。
阪神淡路大震災では、直下型地震の激しい揺れに耐えきれず倒壊したのは古い木造家屋が中心。特に重い瓦屋根を乗せた和風の家は、上から押しつぶされるように一階部分が崩れていました。
もう少し揺れが大きくなったら、この家は絶対につぶれる。
2階のベランダにいるから建物の下敷きにはならないかもしれないけど、家もろとも倒れたら大怪我は免れられない。
ならば今のうちに、庭に飛び降りるか。
ベランダの柵に手をかけ、額に浮かんでくる汗を感じながら決断のタイミングをうかがっていたら、揺れは徐々に収まってきました。
「ああ助かった……」
物が散乱した部屋を眺めがら、2〜3分間は呆然としていました。
我に返ったのは、来客を知らせるチャイムの音が鳴ったからです。
こんなときに誰? といぶかしみながらインターホンを取ると「宅急便でーす。お荷物お持ちしましたー」と、この地区担当のいつものニイちゃんの、のんきな声が聞こえました。
ハンコを持って門に向かうと、宅急便さんはAmazonの段ボール箱を抱えて待ち受けています。
中身は先日僕が発注したマンガ、サライネス著『誰も寝てはならぬ』(14巻)に違いありません。
早く読みたくて待っていたマンガではありますが、それはまったく緊急性のない代物です。