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村井理子「犬と本とごはんがあれば 湖畔の読書時間」
実兄の孤独死をめぐる顚末を、怒り、哀しみ、そして、ほんの少しのユーモアで描いたロングセラー『兄の終い』のほか、『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『メイドの手帖』、そして昨秋刊行された話題作『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』など、数多くの注目翻訳作品を手掛ける翻訳家の村井さんが琵琶湖畔に暮らして十数年。
夫、10代の双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリー君と賑やかな毎日を送っています。
公私ともに古今東西の書籍にふれる村井さんは、日々何を読み、何を思い、どう暮らしているのでしょうか。
人気翻訳家によるエッセイ+読書案内。

仕事のほとんどすべてがダメな時の緊急事態を救うもの-コミックは裏切らない

 ようやく年が明けたと思ったら、もう春めいてきている。去年の今頃は、息子たちの通う学校がコロナ禍の影響で休校となり、一体世の中はどうなってしまうのかと心配したものだが、一年後のいま、私たちは未だに、完全に元の生活に戻ることができないままでいる。子どもたちは生活の変化に敏感とはいえ、同時に変化への耐性も大人よりはずいぶんあって、マスクも手洗いも、まるで最初からそうだったように、なんなくこなして元気に暮らしている。それはどうも、彼らのクラスメイトたちも同じようで、子どもとはもろい一方で、とてもたくましい生きものだと感心してしまう。そこで大人である私はどうかというと、かなり様子がおかしい。私の友人たちも、コロナ禍一年を境に、どんどん元気がなくなってきている。

 普段から、精神面は安定しているほうだと自負しているが、ここ数週間はどうも調子が悪い。酷く気持ちが落ち込むことはないとはいえ、仕事がなかなか進まない。しばらく長めの文章を書いていたことが影響しているのは間違いないが、疲れが蓄積したのか、そもそも貧弱なキャパシティが限界を超えてしまったのか、ここしばらくは、文字の処理が追いついていないのだ。読む方も、書く方も、そして訳す方も。自分の仕事のほとんどすべてがダメという緊急事態。困ったなあ、どうしようかなあと言うばかりで、ちっとも作業が進まない。どんどん追いつめられて、怖くなって、布団をかぶって知らんぷりというのが現状だ。

 こうなってくると、できるのは休むことだけだ。堂々と書いてしまったが、これは本当にそうで、一度すべてを出し切ってしまった頭のなかに、もう一度文字を取り戻すための、アイドリングが必要だと私は思っている。休んで何をするかというと、心の隅っこにある漠然とした不安の元になっている、「やらなくちゃいけないことはわかっているのに見て見ないふりをしているたくさんの用事」を、ひとつひとつ、クリアにしていく。例えば、PTAの仕事の確認、息子たちの学習塾のスケジュール確認、山ほど溜まって庭の片隅で城を築く不燃ゴミの処理、暗い洞窟のようになってしまった納戸の整理、そして最後に自分自身の仕事のスケジュールと正面から向き合うという作業だ。

 これらすべてが済んだとき、ふと心が軽くなるような気がする。部屋の片隅でずっと放置されたままだった除湿器が、元あった場所に戻るだけで、とてつもない達成感だ。あと数か月すれば梅雨がきて、再び必要になることはわかっている。それでも、自分の目に映る風景が変わるだけで、不思議と頭のなかの私の部屋も、模様替えできたように思うのだ。

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村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。主な連載に「村井さんちの生活」(新潮社「Webでも考える人」)、「犬(きみ)がいるから」(亜紀書房「あき地」)。主な著書に『兄の終い』(CCCメディアハウス)、『村井さんちの生活』(新潮社)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』(亜紀書房)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)など。主な訳書に『サカナ・レッスン』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。
家族の実話を描く近刊のエッセイ『全員悪人』が大好評、話題となっている。
最新刊は『ハリー、大きな幸せ』(亜紀書房)、および『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)。

ツイッター:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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