夫、10代の双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリー君と賑やかな毎日を送っています。
公私ともに古今東西の書籍にふれる村井さんは、日々何を読み、何を思い、どう暮らしているのでしょうか。
人気翻訳家によるエッセイ+読書案内。
2021.3.22
10回目の3月11日に愛犬の横で読んだもの—大切な人を亡くした経験のある人へ

アメリカ人作家ミシェル・マクナマラ(1970-2016)が、十代のころ確執のあった母親について、生前、このようなことを書き残している。彼女の母は、映画のなかで登場人物がいじめられるシーンや、若い営業マンが訪問販売でけんもほろろに追い返され、苦労するシーンなどに耐えられず、そんなシーンのある映画やドラマの類いを見ることができなかったという。そんな繊細な母親を、当時の彼女はからかっていたそうだ。しかし、自分が当時の母親の年齢に近づくにつれ、当時の母の気持ちを手に取るように理解するようになったらしい。
これについては、私も同感だ。幼い頃はなんの感情も抱かずに、むしろスリリングな映像としてどきどきしながら見ていた野生動物の生態に関するドキュメンタリーや(特に、生まれたばかりの動物が捕食側から狙われるというパターン)、内気な子どもが同じ学校に通ういじめっ子に辛い仕打ちを受けるシーンなどは、一切見ることが出来ないようになって10年以上が経過したように思う。犬や猫が危険な目に遭う可能性のあるストーリーも避けるようになってきた。家族で見ているときには席を外すし、一人で見ている場合は再生を止めたり、飛ばしたりする。戦争映画もあまり見なくなった。自分が繊細だとはまったく思わない。むしろその逆だと思うのに、気の毒で、怖ろしくて、そんな状況に耐えられなくて、逃げてしまう。もちろん、私の母もそういった映像が苦手だった。
子どものころは、両親や祖父母が、私からするとお通夜のように静かなテレビ番組を好んで見て、私が好きな賑やかな番組を嫌っていた理由がさっぱり分からなかったが、最近はそれも分かるような気がする。大きな声に、過剰なまでの笑いに、あるいは刺激に、心が削られるのだ。息子たちがTikTok上で見つけてきては、「母さん、頼むから見て!」と見せてくる爆笑イタズラ映像も、私からすると「えっ、ツライ……」という感想しか出ない場合が多い。こんなことしたら危ないじゃん、ダメだよ、これは笑えない。母さんからするといじめに見えるなあという感想を率直に伝えると、ジョークもわからないのかという表情をされる。その表情は、どこかで見たことがある。大人は本当につまらないという、ティーン特有のあの顔だ。私もきっと両親に対してやっていたのだろう。
自分が年齢を重ねて内面的に大きく変わったことについては、残念なことだとも、人間的に成長したのだとも考えていない。ただ多くを見て、多くを聞いて、多くを知って、逃げるのが上手になったというだけのことだろう。長い年月を生きてきたから経験が重ねられた、単純にそういうことだと自分では理解している。その変化に伴って、思うことのすべてそのまま口にしないようになっている自分も感じている。若いときは、率直に言うことが正しいと思っていた。でも最近では、頭に浮かんできた言葉のすべてを口にしてしまうことの危うさ……というよりは、残酷さのようなものを感じている。もしかして守りに入ってしまったのだろうか!? その可能性も否めないけれど、一方で思ったことをそのまま全部書き殴っている自分は大丈夫なのか? 今更心配しても遅いが、少し心配になる。