よみタイ

駄菓子の話ができない

 あれやこれやと子どもにはうるさく制限をかけない両親だったが、たったひとつだけ禁止されたのは、「買い食い」だった。
「親の知らないところで、子どもがどんなものを食べたのかわからないのはとても困る。友だちの家で食べ物を出されてそれをいただいたのなら、必ずいいなさい。御礼をいわなくてはいけないから」
 と、それだけはきつくいわれていた。
 しかし多くの子は買い食いが大好きだった。たとえば友だちの家にクラスの子と一緒に遊びに行くと、最初は家の中や外で遊んでいるが、そのうち飽きて、誰かが、
「駄菓子屋に行こう」
 といいだす。それを聞いた他の子は、
「行こう、行こう」
 とぱっと顔が明るくなるのだが、私はいつも困っていた。他の子たちは買い食いするためのお金をもらっていたが、私はそのためのお小遣いはもらっていなかった。しかしそこで一人だけ帰るのもいやなので、黙って後をくっついていった。
 小さな木造平屋の、町内の駄菓子屋は毎日大繁盛で、子どもたちが群がっていた。店内は土間になっていて、二段ほど上がった畳の小さな部屋に、店主のおばあさんが住んでいるようで、冬になると黒い別珍で縁取られている、銘仙のたつ布団がかけられた炬燵が置かれていた。店には同じクラスの男の子たちもすでに来ていて、
「お前たちも来たのかよ。面倒くせえなあ」
 と偉そうにいわれたりもした。使うお金にも限りがあるらしく、みんな五円、十円の小銭を握りしめて、お菓子を手に取っては戻し、そしてまた取り、今度は別のお菓子を手に取ったりして、相当、悩んでいた。たまにお金持ちの子が、お菓子を箱買いすると、
「おおーっ」
 というどよめきが起こった。駄菓子屋のおばあさんは、何も買わずにただ見ているだけの私にも、お金を払う子どもたちに対するのと同じように、にこにこと笑ってくれて、それが救いだった。
 

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 駄菓子屋に入ると、みんなお目当てのものがあるようで、ぱあっと店内に散らばるのだが、しばらくすると、集まってきて、
「何を買うの?」
 と他の子が手にしているお菓子を調べる。そして、
「ああ、それいいなあ、それにしようかな」
 とまた迷い出す。するとまた他の子が、
「やっぱりこれ、やめようかな」
 といい出したりする。なかには呼びもしないのに、
「おごってくれよう」
 と後にくっついてきては、ねだる男の子がいて、みんなからきらわれていた。私の場合は、親から止められているから買えないと、友だちに話していたので、彼女たちも特に私に気を遣うことなく、自分たちが買いたいものを買っていて、それが私には気楽だった。

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群ようこ

むれ・ようこ●1954年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。広告会社などを経て、78年「本の雑誌社」入社。84年にエッセイ『午前零時の玄米パン』で作家としてデビューし、同年に専業作家となる。小説に『無印結婚物語』などの<無印>シリーズ、『しあわせの輪 れんげ荘物語』などの<れんげ荘>シリーズ、『今日もお疲れさま パンとスープとネコ日和』などの<パンとスープとネコ日和>シリーズの他、『かもめ食堂』『また明日』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『還暦着物日記』『この先には、何がある?』『じじばばのるつぼ』『きものが着たい』『たべる生活』『小福ときどき災難』『今日は、これをしました』『スマホになじんでおりません』『たりる生活』『老いとお金』『こんな感じで書いてます』『捨てたい人捨てたくない人』『老いてお茶を習う』『六十路通過道中』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

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