2026.7.23
偶然を使って変化できるのが、人間の素晴らしいところ【鏡リュウジ×東畑開人『昼間のスターゲイザー』対談・後編】
前編に続き、後編では、アラ還にさしかかった鏡さんの悩みや「偶然を生きる」ということ、人間の自由とは? など、話はディープに、さらに広がっていきます。
撮影/藤澤由加
構成/小沼理
みんながパジャマの、遊びが消えた世界
鏡 今、自分の半自伝的な企画を進めていて、1960年代頃からの日本の占いを調べているんですが、60、70年代の占いの広告ってえぐいんですよ。「95パーセントの的中率」なんて書いてあって。
東畑 あははは(笑)。最高ですね!

鏡 当時の人はどう読んでいたかというと、そのまま受け取った人もいたでしょうけど、大半は「そんな馬鹿なことはない」と思いながら、期待を込めてやっていたんだと思います。
今はコンプライアンスがあってそんな広告は出せないじゃないですか。だけどこの中で、受け取る側の幅、トワイライト性が狭まってきている気がします。良心的な人たちほど誤解させないように弱い言葉で書いていくことで、かえって遊びやアイロニーが少なくなってきていますよね。
このままいくと、占いは取り締まられる対象になるのかもしれない。「エビデンスがないならやるな」と言われてしまうかも。
東畑 啓蒙主義に飲み込まれてしまうと。悲しい世界ですね。
これはメタファーとしての話ですが、昔は外でスーツや制服を着て、家に帰るとパジャマに着替えてゆったりしていました。それが今は、人々はあらゆるところでパジャマで生きるようになっているわけです。
みんながパジャマの世界。これはもともとSNSやインターネットに込められた自由、解放の思想でした。スーツだけの世界は不自由だったからです。でも、みんながパジャマになった結果、他者の自由が許せなくなる。他者のパジャマといかに共存するかという難しい問題です。
一見すると不思議なのですが、実はまったく不思議じゃない。つまり、スーツとパジャマの切り替えに遊びの空間――自由の空間がある。裏と表、仮面の取り外し、この空間にこそトワイライトな、占い的だったり、心理療法的だったりする世界がある。だからスーツだけになっても、パジャマだけになっても、自由な遊びの世界は消えてしまうんですね。

鏡 それは案外早い時代からはじまっていると思っています。占いの世界だと、「ズバリ言うわよ!」という番組が大ヒットした。それまでは公共の場ではなかなかぶつけられなかった本音を、スターに向けて「ズバリ」言うことで得られるカタルシスもあったんじゃないかと思う。ここでは「中年女性」で「占い師」という、当時は必ずしも社会的に高いステイタスとはされない、マージナルな存在だからこそのストレートさもあった。
以前、どこかの大統領が来日した時に、大阪の「おばちゃん」が面白い本音を言ったのが放送されて話題になったことがありました。一般市民が国家の要人にいきなり話しかけるなんて「失礼」とされていたわけだけれど、そのハードルを大胆に超えて本音をぶつけた方がいたわけですね。大胆でそれはよいことなんでしょうけど、全部が「ぶっちゃけ」になると大変。でもドナルド・トランプが登場した時、良くも悪くも建て前と本音の境界が消えた、東畑さんがおっしゃるみんながパジャマの世界が到来したと直感した。
東畑 昨年この代官山蔦屋で神学者の森本あんり先生とお話しした時、反知性主義の話をしました。
反知性主義は日本語だと相手を「知性を持っていない人」のようにバカにする言葉に聞こえるかもしれませんが、そうじゃないんですよ。アメリカの伝統で、ハーバードを出たインテリと違って、自分の頭で考えるという思想の潮流なんです。制度の中にいる閉じたインテリクラブのエリートに劇的な一撃を食らわすのが、反知性主義のヒーローなんです。
鏡さんが言ったおばちゃんも、大阪流のヒーローですよね。インテリ側が自分たちのことしか考えなくなっている状況にパンチをくらわせるのが、反知性主義の非常に重要な、歴史的な使命なわけです。ここにはインテリ側の堕落があります。しかし、反知性主義ヒーローだけでは世の中は難しくなる。アンチはアンチであるときに輝くわけで、主流が消えゆくときに追い詰められます。
建前と本音があって、建前が崩れて本音だけになってもいけないし、建前だけになるのもよくない。両方あるのが大事なんですけど、これが難しい時代です。
贅沢な悩みがどうして大事かというと、ユングも書いていますが、心の中には反対のものがあるわけです。皆さんの「私はこうなりたい」という気持ちのすぐ裏に、「まったくそうじゃない正反対の自分」がいる。とはいえ、今までの自分を捨てて、その正反対のあなたでいきましょうと言っているのではないんです。正反対のあなたも含めて、じんわり悩めるようになるのが、心理療法の言う回復なんですよね。ここに贅沢な悩みがある。それは建前と本音の緊張関係を維持することです。
鏡 これはもう心理学的だし、占い的でもある。社会的な建前、ペルソナとそれによって守られている、でも、いかんともしがたい本音の分裂と向き合う場がカウンセリングとか占いの場なんだから。
中年、アラ還…ある年代の人に起こること
鏡 分裂や矛盾といえば……僕の商売の秘訣なんですが、「なのに商売」をやってきたんです。例えば「怪しいことやってます、なのに賢そうなこともやってます」とか。つまり、両方ですよね。今だったら「一番売れている心理学者とトークします、なのにすごくマイナーなとこでもやります」(笑)。
この「なのに」は、ある種贅沢かもしれないと思います。僕はもうアラ還ですけど、ここからどうやって「なのに」を作っていけるのか、今悩んでいるんです。
東畑 アラ還になると「なのに」が減るんですか?
鏡 これまでやってきたことによって、スタイルが決まってきちゃうんでしょうね。
東畑 「なのに」という芸風になっちゃうのか。そこにはどういう不安があるんですか?
鏡 カウンセリングみたいですね(笑)。どういう不安だろう。うーん……。
東畑 ……わっ、地震だ。
(地震のためトークを数分間中断する)
鏡 ……収まったかな。けっこう揺れましたね。
東畑 カウンセリングの時にも地震起こったりするんですよ。なんか意味ありそうで意味はない。でも、意味があったりするから不思議です(笑)。なんか心に残るんですよ。
鏡 アラ還の話はやめとけってことかと思っちゃった(笑)。いやあでも、僕はこれからどういう風にしていけばいいんだろう。
東畑 僕ね、そういう人間の節目に興味があるんですよ。7月2日刊行の本も『ミドル・エイジ・ビギンズ』という、中年危機について書いた本です。
「占いは統計学だ」と言っている人がいるじゃないですか。数学的な意味では統計学ではないはずだから、「何を言ってるんだ」と思っていたんだけど、今回の本で占いの勉強をしてみると、「このくらいの年齢で多くの人にこういうことが起こるよね」という、人生の教訓みたいなもののことを言っているんだなと思いました。この人生訓が占いの1つのパワーになっていると思ったんです。
考えてみれば、年齢で人は決まらないじゃないですか。「アラ還」もそう。いろんな60代がいるはずです。なのに、やっぱりアラ還的な何かが起きるし、ミドルエイジも、一人ひとりはまったく違う生き方をしているのに、何か共通する物語が起こりやすくなる。そういうのが僕はすごく好きなんです。僕のカクレユンギアン的なところですね。そして今の鏡さんには、たしかにアラ還的な何かがうごめいている感じがする。
鏡 東畑さんはさ、やっぱりどこかで占い師なんですよ。
東畑 ははは(笑)。僕、そういうところあるんですよね。
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