2020.3.11
川村エミコの小学生時代のあだ名は「粘土」
私に「粘土」ってあだ名を付けたTくん
小学校二年生の頃、私の隣の席はクラスで背の順が1番前で、背は1番小さいけどとにかく元気なTくんでした。
Tくんは、私が鈍臭いばっかりに鉛筆や消しゴムを落としてしまうとケタケタ笑って「ほいっ!」といつもいつも笑顔で拾ってくれる優しい男の子でした。
印象としてはフットワークが軽い男の子です。ヤンチャで掃除の時間、仕上げのワックスに手こずっていたら、「貸せよ!」と私が持っていたモップをサッと取り、サッと手伝ってくれたり……。
勉強は普通くらいだったのかなぁ……運動が得意だったと記憶しています。
前にも書きましたが、私はこの頃、休み時間は基本一人。教科書の端っこにパラパラ漫画を書いたり、鉛筆をひたすら削り、それが終わるとロケット鉛筆の芯を取っては上から押し込む動作を永遠にしていました。
クラスの女子の間では「シール交換」なるものが大流行していて、シールの見せ合いっこから始まり、お互いに「これ可愛い」となったら、シールをブツブツ交換するということに女子達は休み時間全てを費やしていました。
相変わらず私は一人でしたが、うちの親が高齢出産だったため従姉妹のお姉ちゃん達が大学生。その大学生のお姉ちゃん達から可愛いファンシーなシールやサンリオの文房具、お古の洋服に至るまでたくさん貰っていたので、ちょっとしたシール持ちでした。
一人遊びの一環としてシールを少しだけ重ねて繋げて、マスキングテープを自力で作ってノートの下の部分や上の部分に貼っていたのですが、そのノートを覗き見たクラスのかわい子ちゃん達が普段話もしないのに、「川村さんもシール持ってるんだ。見せて。」と言ってきました。
「ずごごごごごごご〜」と心の大きな岩みたいなものが動いたのを覚えています。「すごい嫌だな。」と思ったのですが、クラスで波風たてる方が辛いと判断した私はソソクサとシールを見せました。ビックリマンチョコシールで言ったら、明らかにキラキラシールの「スーパーゼウス」の私のシールと、NOキラキラシールとを交換していました。
シールの時だけ話しに来るなんて露骨で嫌だなぁと思っていましたが、「ま、そんなもんか。」と冷静に思う自分もいましたし、「私とのシール交換は闇市みたいなものだね。」とニヤニヤして楽しむ自分もいました。
でも大人になってもいますものね。そういう方。そういう時はあえて嫌われることを言って離れたりします。これまたややこしいですね。お互いの距離はお互いが決めます。これに尽きます。
家の近くの文房具屋さんで偶然見つけた「シールを貼ったり剥がしたり出来るノート」を持っていたのですが、それごとかわい子ちゃんに持っていかれそうになったことをきっかけにシールの闇市はやめました。
そして、また話さなくなりました。
たまに話すといったら、緑のクレヨンや付箋の紙を休み時間に食べる男の子に「どんな味するの?」と聞くくらいで、やっぱりポツンと過ごしておりました。