季節の野菜は、売り場で目立つ場所に置かれ、手に入れやすい価格なのもうれしいところです。
Twitter「きょうの140字ごはん」、ロングセラー『いつものごはんは、きほんの10品あればいい』、文庫化された『わたしのごちそう365 レシピとよぶほどのものでもない』で、日々の献立に悩む人びとを救い続ける寿木けいさん。
食をめぐるエッセイと、簡単で美味しくできる野菜料理のレシピを、「暮らしの手帖」などの写真が好評の砺波周平さんの撮影で紹介します。
自宅でのごはん作りを手軽に楽しむヒントがここに。
2020.12.7
第17回 すき焼きの恩返し

最高気温が15度を下まわる日が続くと、玄関が冷蔵庫代わりになる。古紙でくるんだ野菜を築地かごに放り込んで、黒御影石のうえに置いておく。
今夜はなにを使おうかと覗くと、必ず大根がいる。毎週頼んでいる無農薬野菜の宅配セットには、立派な大根が入っていて、煮たり、干したり漬けたり、あの手この手で消費するのだけれど、大根はまたすぐにやってきて、これが何週も続くとさすがに葉っぱもの恋しさでいっぱいになる。
こんな風に恨めしく思うなんて、ばちが当たるかもしれない。
『徒然草』には、大根が登場するこんな物語がある。
その昔、筑紫の国にあるお侍がいた。大根をたいそう体にいいものと信じ、毎朝二本ずつ焼いて食べることを長年の習慣にしていた。あるとき、勤めていた屋敷が敵に襲われてしまう。とそこへ、見知らぬ男がふたり現れ、命を惜しまない戦いぶりで敵を追い返す。
驚いたお侍、「あなたがたは?」と聞けば、ふたりは「いつもあなたが大事に食べてくださっている大根でございます」と答えたという。大根の恩返しという呼び名で親しまれ、信心を持って暮らすことの尊さを書いた一編である。私のように「また大根か」などとうんざりしていては、恩返しどころか、大根の奇襲に遭うかもしれない。事実、夢のなかでは何度か追いかけられている。
しかし、おかげさまで命拾いしましたと手を合わせたくなるものなら、私にだってある。
長女を産んで一か月にも満たない頃、三か所から立て続けに牛肉が送られてきたことがあった。送り主は義理の母、宮崎に移住した友人わかなさん、岐阜出身の友人Aちゃん。牛肉はもちろん松の上。絹糸のようなサシが入った、うんと薄い肉だ。
赤ちゃんが寝た隙に、つま先立てて台所へ向かい、鍋に湯を沸かした。肉を数秒泳がせて醤油をかけ、立ったまま菜箸でかき込んだ。腹の底の、もっと奥から、声にならない息の束があんな風にして漏れたことはなかった。女が女のために用意した、とっておきの贈り物である。
宅配便の送り状を見て、自分に名前があったことを久しぶりに思い出したのもこのときだった。なんせ嵐のような難産を経て、数時間おきに授乳し続ける生活に突入してしまったのだから。小さな命にもしものことがあってはならないと、私は必死に毎日にしがみついていた。
いったい女というのは、最適なタイミングでひとを喜ばせる知恵をどうやって得るのだろう。三人が三人とも同じものを送って寄こすということは、根源的なもの──産後の滋養だとか回復だとか──を言葉に頼らない方法で知っているのだ。