季節の野菜は、売り場で目立つ場所に置かれ、手に入れやすい価格なのもうれしいところです。
Twitter「きょうの140字ごはん」、ロングセラー『いつものごはんは、きほんの10品あればいい』で、日々の献立に悩む人びとを救い続ける寿木けいさん。
食をめぐるエッセイと、簡単で美味しくできる野菜料理のレシピを、「暮らしの手帖」などの写真が好評の砺波周平さんの撮影で紹介します。
自宅でのごはん作りを手軽に楽しむヒントがここに。
2020.11.16
第16回 二日めのかぼちゃ

夏目漱石の『坊っちゃん』には、主人公が赴任先の学校で出会った英語教師を「蒼くふくれた唐茄子」とくさす場面がある。
茄子紺色の間延びした顔の男なんだろうと思っていたけれど、そうではなくかぼちゃのことだと私が知ったのは、ずっと大人になってからのことだ。
主人公は顔が蒼くふくれたひとを見ると必ず「うらなり(蔓の先に時期が遅くなってから実ったもの)の唐茄子ばっかり食った酬いだと思う」というのだから、かぼちゃもずいぶん不気味なたとえに持ち出されたものだ。しかし考えてみれば、かぼちゃのほうが適役かもしれない。ぽこんと小突いてみたくなるような、面の皮が厚くて鈍そうな小憎たらしさは、かぼちゃでなければ表現できない気がしてくる。
唐茄子のほかにも、南京、南蛮、南瓜──かぼちゃには多くの呼び名がある。いずれも海の向こうの国々にゆかりがあり、しかも、もともとはカンボジアがつづまったのだというから、名前ひとつとっても不思議な野菜である。
この夏、初めてかぼちゃを育てた。調理のたびにスプーンでくり抜いては捨ててしまう種を、ずっと後ろめたく思っていたのだ。遊び半分で子どもと一緒に植えてみたところ、どうしたことか見事な蔓が伸びはじめ、ベランダが飲み込まれてしまうのではないかと思えるほどすさまじい速さで成長した。
かぼちゃの蔓というのは奔放で、いち方向ではなく、北へ南へ、東へ西へ、あっちこっちへ伸びる。視線の避暑地になってくれるゴーヤとは違い、ちょっと怖いようなわずらわしさなのだ。
しかし、立派だったのは蔓だけで、ひとつも実らなかった。最初からうまく運ぶわけはないと分かっていながらも、これはもしかしてしばらく食費が浮くぞと弾んでいた左うちわは、ぴしゃんと叩き落とされた。
伸びた蔓の先に、私は田舎で当たり前のように見てきた光景を期待していたのだった。夏に収穫されたかぼちゃは、玄関や地下室など涼しいところに1〜2か月貯蔵され、秋が深まるころにようやく食卓にのぼりはじめる。煮物、味噌汁、天ぷら──その後の活躍ぶりはご存じの通りである。
このかぼちゃ、見た目からはなかなか分からないのだけれど、かなり個体差がある。
刃先を45度にして切り込み、体重をかけぐいっと一気に包丁をおろす。刃先をなかなか割れ進めさせてくれない、みっちり詰まったかぼちゃほど、味も濃くてねっとりしている。逆に、拍子抜けするほどトントンと切れてしまうものは、仕上がりもあっさりして水っぽい気がする。