季節の野菜は、売り場で目立つ場所に置かれ、手に入れやすい価格なのもうれしいところです。
Twitter「きょうの140字ごはん」、ロングセラー『いつものごはんは、きほんの10品あればいい』で、日々の献立に悩む人びとを救い続ける寿木けいさん。
食をめぐるエッセイと、簡単で美味しくできる野菜料理のレシピを、「暮らしの手帖」などの写真が好評の砺波周平さんの撮影で紹介します。
自宅でのごはん作りを手軽に楽しむヒントがここに。
2020.9.21
第12回 冷たいスープを1ダース

異例の六月に行われた入学式を経て、小学一年生の短い夏休みが終わり、二学期がはじまった。
夏休みのあいだ、子どもは近所の児童館で昼を過ごした。となると持たせなくてはならないのが、弁当だ。
私はこの弁当作りというのが苦手で、できることなら避けて通りたいと思ってきた。傷みやすい食材や調理法は厳禁。濃いめに味をつけ小さな箱におかずを詰めていく作業は、作りたてを味わう家庭の料理とは違う頭の使い方が必要だ。
しかしもう逃げられない。
まず、弁当箱を仕入れるところからだ。
ネットをうろついたけれど、確信できるものがない。菜箸でおかずを詰める重量と臨場感がつかめないのだ。結局私は、近所の雑貨店をまわってみることにした。
弁当箱というのはたいてい四角い。角を少しずつ丸くしていった楕円形というのも、四角に次いで多いけれど、弁当箱が怖い私にとってはどちらも平面を埋めることに変わりない。どれもこれも同じような顔をして!と弱音を吐きそうにもなった。
そんなとき、ふと入った雑貨店にいいものがあった。
直径7、8cmほどの丸形の弁当箱がみっつ、連結されてタワーのようにそびえている。
「汁が漏れにくい」
との説明書きに、むむっと一歩踏み込んだ。
みっつの小さな容器は、それぞれがゴム付きのふたで密閉できるようになっていて、一番上には持ち運びしやすいよう取っ手がついている。
ごはん、汁物、おかず。ふだんの食卓を再現できる、夢のような三段弁当──移動式の一汁一菜──が見つかったことにほっとして、
「見つかりました\(^o^)/」
と夫にLINEしてしまったほどだ。
嬉しさの根っこにあったのは、三十年も前、父の弁当箱の記憶だ。
今はほとんど見かけなくなった、ふた付きの頑丈なバケツのような容れ物に、ごはん、汁物、おかずが小分けにして詰められていた。
熱っぽくて小学校を休んだ日やなんかには、自営だった父の仕事部屋をうろうろして、弁当をあける瞬間に立ち会うのが好きだった。汁物──たいてい味噌汁だった──からは、まだしっかり湯気が立っていた。
弁当はかつて独立した荷物だった。それがだんだん薄く小さくなってカバンの底に納まり、他人からは見えなくなった。そのぶん進化したのが、中身の芸術性だ。書店のレシピ本コーナーを少し歩けば、この国が弁当に燃やす情熱がわかる。
思えば食卓にも弁当にも、母は汁物を欠かさなかった。その影響かもしれない、私は今でも、買ってきた惣菜を温めるだけの夕飯にも、
「汁物くらいは作ろう」
と重い腰をあげる。もちろん、弁当にも。言ってしまえば、おかずなんてなんだっていい。しかし汁物がないと、わびしいのだ。
お椀にとろろ昆布をひとつまみ入れて醤油をたらし、湯を注ぐ。これは、私が記憶している母のもっとも古くて簡単なレシピ。
きゅうりをひとり一本すりおろして氷を浮かべ、酢をたらす。これだってスープ。こと汁物作りに関しては、ちょっとずぼらなくらいのほうが名人になれるのではないだろうか。
一汁一菜タワーを手に入れた私は、俄然、弁当作りが楽しくなった。
とくに汁物だ。突き詰めれば、水と旨みの組み合わせ。この型を満たし、かつ冷たくても満足できるレシピを編み出すことに腕が鳴った。