2020.5.4
第3回 緑を探すひと
桃の節句から少し経った頃、私は小さな非日常を求めて四時間だけの旅をした。
天気のよい土曜を選び、私たち家族は朝早く車で出発した。首都高を抜け、アクアラインを渡って着いた先は、千葉の鹿野山九十九谷。幾重にも連なる上総丘陵が、朝日を浴びて薄桃色に染まっていた。誰もいない公園で、久々に大きく息を吸って伸びをした。
サンドイッチを並べて朝食の準備をしていると、夫が何かを見つけた様子でふらりと歩き出した。腰をかがめて土に見入り、息子がそのあとを追いかけ、ふたつの背中が並んだ。
草やら花やらで溢れかえった公園から夫が探し出したのは、野蒜だった。引きぬいて根の匂いをかぎ、次に指先の匂いをかぎ、ふたりで笑い転げている。息子が小さな手に野蒜を握り、いくつかは指の間から落としながら、
「ママー、くさいのあったよ!」
と、かけ寄ってきた。
強くなりはじめた日差しをおでこに受けながら、私は六年前と同じように置いてけぼりをくった気分だった。私には食べられる草を探し出す力が欠けていた。受け継いだはずなのに、失くしたのだ。
ふと気がつくと、いつからいたのかバイク乗りの初老の男性が私たちを見て笑っていた。いつもなら「野蒜が植わってるんです」と話しかけてしまうけれど、この時期にかぎっては、距離を保ったまま互いに会釈をして別れた。
あの人も、見つけられる側の人ではなかったか。指先の匂いを知っている人ではなかったか。そう思うと、風に揺れる緑が、年齢も性別も、言葉までも越え、それぞれの胸にある思い出をかき鳴らす弦のように感じられるのだった。