2024.5.15
100円からできる女子高生の現実逃避 第13話 レンタルビデオとメル友――あるいはNo Sex and Not the City
『まじめな会社員』で知られる漫画家・冬野梅子が、日照量の少ない半生を振り返り、地方と東京のリアルライフを綴るエッセイ。
前回から、高校生になった冬野さん。女子校のせいか恋愛の気配は一向になく……。
(文・イラスト/冬野梅子)
第13話 レンタルビデオとメル友――あるいはNo Sex and Not the City
高校2年生になり、私はついに映画に出会う。
映画に出会うというよりは、レンタルショップに出会うと言った方が正しいかもしれない。中学時代にもビデオをレンタルしたことはあったが、当時の私にレンタル料500円は高すぎた。私の世代では、R指定という言葉を初めて知るきっかけとなった『バトロワ』(バトル・ロワイアル)を、年齢制限で映画館で観られないのでレンタルでこっそり観るのが流行った。
ところが高2のある日、学校近くのレンタルショップに行ってみるとレンタル料金が200~300円になっている。安い。高校生からはお小遣いを月5000円貰っていたので、レンタル料の安さに驚いた。DVDが普及したこともあってか、ビデオだともっと安くなることもあったし、GEOやTSUTAYAなど大手チェーンは旧作レンタル100円などのキャンペーンを頻繁にやっており、いつも安く借りられた。
そこで出会ったのが、『ヴァージン・スーサイズ』である。洋画コーナーの「青春」の棚にあったそれは、背表紙で確信していたが、中学3年生の時に遅刻欠席の多いミカちゃんがくれた雑誌『H』に載っていた、あの印象的な写真の作品だった。これは絶対観るべきだ。この再会に縁を感じすぐさま借りて観たが、かなり大きく影響を受けてしまった。
この作品に限らず、レンタル生活を始めるまではテレビで放送される映画か、映画館で観るヒット作しか知らなかったので、『ヴァージン・スーサイズ』のように女の子の日常を印象的なカットで繋ぐような、雰囲気を楽しむ作品を知らなかった。雰囲気を楽しむ、というとまるで映画そのものは面白くないような言い方だが、この映画で私は、「面白い」とはワクワクドキドキしたり、派手な演出と印象的なキメ台詞があるだけではなく、ただ静かに引き込まれる、なんとも言えない作品にも当てはまると知ったのだ。これは本当に物の見方が変わる出来事だった。それまでは、何か脳にアドレナリンが出るような作品や、たくさん涙が溢れる作品がいい作品なのだろうと思っていたので、それらに当てはまらない作品にこんなにも心を掴まれることに驚いた。映画を観た直後は、少しでもこの面白味とお洒落さのない現実をシャットアウトして映画の世界に耽溺しなければと昼寝したことを覚えている。
私にとって、映画の楽しみとちょっとの虚しさとはまさにこういうことだった。映画は日常とは別の世界を見せてくれ、探せばどこかにあるような気にさせてくれる。そして終わればまた面白味のない現実に帰る。だからなるべく切れ目なく映画を摂取して、どうにか脳内だけでも映画の世界に留まれないかと願っていた。こんな東北の片田舎でも、ソフィア・コッポラが撮ればきっと絵になるだろう。でもそんなことは望んでいないのだ。自分の延長線上に、あのお洒落なメランコリーが存在していないことが問題なのだ。だからなるべく現実のことは考えないようにしたい。
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そういうわけで、その後は毎週GEOに行き、DVDを3本借りて返却と同時にまた3本借りるという生活が始まった。最初は映画をレンタルするということ自体が特別だったので日記帳に感想なども書いていたが、感想文が苦手だったため早々にやめ、タイトルだけ記載するようになった。そうして1年間に観た映画は100本以上になり、たくさん観ることにそこはかとない満足感もある。私が一人になれる時間は限られており、家でゆっくり映画を観るのは難しかった。親の前であまり気楽な姿を見せると勉強しろと言われかねないし、性描写や暴力描写のある作品は親の前では観づらい。それ以外でも、自分が好んで借りた映画だからこそ、親に自分の嗜好が知られるのは恥ずかしいので絶対に避けたかった。そうなると私が映画を観られる時間は、学校から帰った後、母がパートから戻る午後5時半まで、あるいは親が寝静まった深夜となる。土日は両親揃って家にいるため絶対に映画は観られなかった。
そのため毎日学校が終わると部活をサボって家に直行し、すぐさま居間でDVDを再生し、5時を過ぎるといつ母が帰宅するかとソワソワするので映画を中断しDVDを回収する。母の帰宅時刻には自分の部屋に入り、何食わぬ顔で「おかえり」と言ってずっと部屋にいた風を装う、というルーティンだった。期限までに観るのが間に合いそうにない映画は、深夜に居間かテレビデオのある台所で観ていた。とはいえこれもなかなか至難の業で、父はやたら早く起きるため、3時以降は危険な時間帯となり、それ以前の時間は母がトイレに起きる確率が高い。いつも真っ暗な部屋で音量をかなり下げ、両親の眠る2階の音に気をつけながら視聴した。一度、台所のテレビデオで映画を観ていた時、階段を下りる足音に気づくのが遅れ、不審に思った母に台所のドアを開けられてしまったことがある。幸い、テレビを消し真っ暗な中テーブルの下に隠れたためにバレなかったが、心臓に悪いのでそれ以降は深夜の視聴はやめにした。
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我が家にインターネットはないため、映画をレンタルする際は、DVDのパッケージのデザインや説明書き、お店のPOPを手掛かりに映画を借りた。そして最も重要なのは、ビデオにもDVDにもある予告編の存在である。予告編は早送りする人も多いらしいが、私にとっては大事な情報源であり、予告が面白そうなものは積極的に借りていた。その予告編で知ったのが『セックス・アンド・ザ・シティ』である。ニューヨークに暮らす独身30代女性の華やかな社交の日々という、当時の私にはまるで遠い世界の話、それを東北の女子高生は熱心に観ていた。主人公のキャリーが新聞のコラムで生計を立てながらブランド品を買えることが当時も今も謎であるが、ちょっと下世話なテンポの良い会話と、英語圏独特の言い回し、頻繁に行われるなんらかのパーティーと夜遊び、そのために毎回派手にドレスアップする女性たち、そういう世界にワクワクした。主人公のキャリーは恋愛コラムニストなのだが、まだ「iモード」しか身近にない田舎の高校生にとって、コラムニストなどあまりにピンとこない職業だったのだろう。自分でも意外だが、将来は恋愛コラムニストになりたい、と思うことはなかった。それはもしかすると、高校時代に恋愛のれの字もなかったからかもしれない。
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