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東北の生家で行われていた「安定虐待」 第10話 漫画を描く子はいねが 

 そんなこんなで、今までになく家の居心地が最悪だったためか、中学2年生の頃は学校が楽しく感じられた。何より、所属していたグループがよかった。私が最初に親しくなった子は、席が近かった学級委員長のマナミちゃん(仮名)で、優秀さではなく人気投票のような形で選ばれた明るくて可愛い女子で、生徒から人気の高かった女性教師とも友達のように仲が良く、健全かつイケてる雰囲気をまとっていた。そのため必然的にノリのいい女子が集まった。マナミちゃんは小学校が違うものの水泳部時代に大会で顔を合わせたことがあったので、すぐに親しくなれたのだ。おそらく水泳部だったことが役に立ったのは後にも先にもこれ1回きりだったと思う。
 それと、グループに1名明らかな不良の女子生徒がいることもちょっと鼻が高かった。不良の女子生徒というのは、たいてい遅刻し、勉強に関心はなく、先生には当然のように反抗しつつ、時になぜか可愛がられるという治外法権のような存在で、スカートが短くても髪を染めていても「言っても聞かないから」という理由で放置されるのだが、それは特別扱いされているとも言える。以前、テレビでイギリスのパブリックスクール(全寮制の進学校)を見た時、ずば抜けて成績が良い生徒、スポーツや芸術面で高い成績を収めた生徒は、制服を特別仕様にしたり別室で先生とランチをしたりと優遇されていたが、彼らが優秀さゆえに色々な自由と権利を与えられるのに対し、田舎の中学校の不良は「手がつけられない」という理由で校則というルールからハミ出てもなんとなくそのままやり過ごす、ほどよく放っておかれる、という自由と権利が与えられたように見えた。
 彼女はそんな特権的な存在である上、なんといっても見た目が麗しかった。田舎のヤンキー感は拭えないものの、同世代より明らかに大人っぽく、目鼻立ちがはっきりし、あどけなさの残る顔にケバいメイクを施すことで、より一層元のキュートさとそれに相反する猥雑さが際立ち、ナボコフの「ロリータ」を読んだ時は彼女を思い出すほど、まさにコケティッシュな雰囲気があった。こうした性をまとった大人びたティーンの姿は、漠然と早く大人になりたいと願う中学生ごときの審美眼にはかっこよく見えた。

 大人になると、頭が良くて独自の探求を続ける人をかっこいいと思うのだが、当時は知的=かっこいいというイメージは一切なかったし、勉強ができるということが親や教師に従属的なだけの存在に見え、流行りのドラマなんかも「人生には勉強より大事なことがある」とエリート層を喝破するものが多く、それらを言い訳に勉強を放棄していた面もあった。ついでに言うと、少なくとも私の地元で名門大学卒の人に遭遇したのは高校時代の女性教師のみで、珍しさから「あの先生は○○大卒らしい」と噂になっていたほど、有名な大学を出た人というのはテレビの中の存在と同じで遠い無関係なものだった。勉強することと将来に何か関連があると思っておらず、有名大は何か「お受験」とかする人たちの特殊な世界で、平凡さに劣等感がある割には、そんな特殊な世界と関係のない普通で平凡な私たちが幸せなのだと信じ、頑張って勉強する先に何か素晴らしい未来を描くということもなかった。
 なんなら、なるべく嫌なことをせず日々をやり過ごしたい、それでいてちょっとイケてたらカッコいいな、なんてぬるいことを考えていた。当時、同世代では美容師に憧れる人が多かったのだが、田舎の若者が身近にカッコイイ大人のロールモデルを見つけられるのが美容室くらいだったのかもしれない。

 さて、6名という偶数かつ大人数のグループはとてもいいものである。やはり偶数であれば、体育の時間にペアを組む時など二人組になる時に困らない。誰かが休んだとしても6人もいるから一人ぼっちになることはない。一人が嫌かどうかに関わらず、特に中学生女子というのは一人ぼっちのところを誰かに見られてはいけないのだ。しかし、やはり思春期の女子6人というのはそれなりに大変さもあった。当然のように順番で誰か一人がハブられるシーズンというのは訪れ、私も一度経験した。よくわからないがリーダー格の子の気が済めばハブられるのも終わりで、最後はそのリーダー格の子がなんとなくハブられ、みんな一緒に泣いたり謝ったりしながら真の和解が訪れる、というパターンである。私も私で中学生らしい嫉妬から、夏が来る前には学級委員長のマナミちゃんを嫌いになっていた。
 発端は数学の小テストをカンニングされていることに気づいたからだった。私の前の席にいたマナミちゃんは、テスト中何度か振り向き他愛もないことを話しかけてきたのだが、2回目の小テストで明らかに私の答案を見ていることに気づき、以降すぐにテストを裏返したのだが、その後も隣の席を覗き見ているのがバレバレだった。マナミちゃんは勉強は苦手だが水泳部で成果を上げており、放課後再テストで居残りさせられ部活に支障が出るのが嫌なようだった。そんな事情をなんとなく知ってはいたが、私はカンニングされたことよりも「分からないから見せて」と言われれば見せるつもりでいたし、てっきりマナミちゃんも私を、友人と共犯になることに寛大なタイプとみなしていると思っていたので、そうじゃなかったということがショックだった。いわば、「ズルいことや悪いこともするけど友達には親切」みたいなキャラだと自分では思っていて、他人も私の思い込み通りに受け取っていると幼稚な勘違いをしていただけなのだが、この一件以来、そもそもみんなにいい子だと思われてるマナミちゃんってカンニングもするし外面がいいだけですよーという意地悪な気持ちに変わっていったのだった。

 目立つ子や可愛い子というのは常々こうした苦労に晒されているわけだが、みんなから人気がある子は常に裏表なく矛盾なくいい子でなければならないという勝手な理想を背負わされ、私みたいな平凡で自信のない者に妬まれる。私はマナミちゃんがちょっとでも誰かの悪口を言うと「本当は悪い子じゃん」とことさら批判的な気持ちを募らせ、その可愛いさや好かれ度合いに対する羨ましさも相まって一方的な憎しみを抱き、常に心のどこかで彼女の失敗を願っていた。しかし、こうした他者への明らかな妬みは自分自身をごまかせないもので、常に心のどこかで、私が悪い人であることが白日の元に晒されグループから転落するのではないかとビクビクしていた。それに、みんな根っからの明るい子で暗さやダサさから遠い存在に見えていたので、標的にされた時には過去に漫画を描いていたことなどもバレるのではないかと恐れていた。

 我が家では、私の成績の悪さから母の監視が生活という表面的な部分だけでなく、意志の部分にも及んでおり、それが大変苦痛だった。意志の監視というのは、私が「変な気」を起こさないか、つまり小学生の頃のように漫画家だのイラストレーターだの妙なものへの憧れが垣間見えれば軌道修正する啓蒙活動である。例えば有名漫画家のインタビューとか、「あの映画の舞台裏」みたいな番組に目を輝かせているとすかさず「でもこういう仕事は普通は無理、なれない、なれない」とか、東京の「民間企業」がいかに大変で不幸か、年末に総括される失業率のニュースは必ず「ほらね、非正規って大変なの。だから正社員なりなさいって言ってんの」と正社員以外が危険であることをPRし、地域で頑張る個人商店が映れば「自営業はカレンダー通りに休めなくて出かけられない」「暦通りに休める仕事に就きなさい」という導入から、とどのつまり管理栄養士か薬剤師か公務員になりなさい、という一言で締められる、そういうプチ演説が週に1回は行われ18歳まで続いた。そのため親の前でテレビを見る時は、創作的な仕事には無関心を装うよう心がけた。

 そんなある日、何かの会話の弾みで「また漫画だがなんだか描いてんだべが」と呆れたように言われ、突然の一言にカッと顔が熱くなった。親には漫画を描いていることは言っていなかったし、小学生の頃にちょっとだけ友達と盛り上がって、電話で漫画の構想を話したり無邪気に漫画家ごっこを楽しんだことはあったので、バレているとすればその出来事かもしれない。だが、もしかしたら母は私の部屋に入ってキャンパスノートに描き溜めた漫画を読んだのかもしれない。そんなゾッとするような風景が想像され、私はすぐさま、資源ごみの日に漫画を描いていた全てのキャンパスノートを捨てた。親に見つからないように不在の隙を見つけて、束にしたノートを泣く泣く捨てたのだ。もう漫画は描いていなかったし、昔描いていた漫画は稚拙で恥ずかしいので見たくないものだったが、私にとっては友達と盛り上がったり、夢中になったり、大事な思い出が詰まっていた。詰まっていたが思い出ごと捨てた。捨ててやったぞ、お母さんのせいで、あんたがあんな呆れ顔で、汚いものを見るうんざりした顔で漫画のことを貶したから、だから私は今、子供の頃の大事な思い出を投げ捨ててこんな悲しい気持ちだぞ、もうどうでもいいわ、というやけくそな気分だった。恥ずかしくて悲しい。元より母の一言は発端に過ぎず、悲しいのは自分でも漫画を恥じていたからで、好きなものを恥じないといけない、胸を張れない、そこに打ち勝てない自分が恥ずかしく悲しかった。だからこそこんな憧れなら捨てるのが相応しいと思い全て捨てたのだった。しかし、本心と違うことをしているのは明白である。何か間違ったことをしたような鈍く暗い気持ちが残った。

次回は3月20日(水)公開予定です。

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新刊紹介

冬野梅子

漫画家。2019年『マッチングアプリで会った人だろ!』で 「清野とおるエッセイ漫画大賞」期待賞を受賞。その後『普通の人でいいのに!』(モーニング月例賞2020年5月期奨励賞受賞作)が公開されるやいなや、あまりにもリアルな自意識描写がTwitterを中心に話題となり、一大論争を巻き起こした。2022年7月に、派遣社員・菊池あみ子の生き地獄を描いた『まじめな会社員』(講談社)全4巻が完結。
講談社のマンガWEBコミックDAYSにて「スルーロマンス」連載中。

Twitter @umek3o

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