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子どもの涙が通用しない事態もあることを知った。 第2話 習い事ドミノ

 しかし、いざピアノを習い始めると、全く面白くなかった。
 私が通ったピアノ教室は、某大手のピアノ教室ではなく、個人の先生が自宅でやっているたぐいのものだった。見知らぬ先生の家のインターホンを押し、同年代の子供もいない場所に一人で臨む。それが幼少の私にはあまりにも過酷だった。おまけに先生の家のマルチーズはめちゃくちゃ吠えるし、先生の家も遠い、通うのがめんどくさい、ピアノの練習そのものも退屈で苦痛で、どうでもいい。
 そこで気づくのだが、私は別にピアノやエレクトーンが好きなのではなくて、単に子供たちとワイワイ遊んでる雰囲気が楽しいだけだったのだ。
 しかし、気づくのが遅かった。すでに我が家には誰かから貰ったというどでかいエレクトーンが運び込まれ、私も私で、でかい立派な新しいおもちゃがもらえることに上機嫌ではしゃいでいたばかりだった。エレクトーンがなぜ我が家に来たのかはわからないが、ピアノを習うにあたって家で練習する必要があると考えたのだろう。実はその数年後にはピアノも買ってもらう。幼稚園くらいから「ふけいき」という言葉は知っていたが、それでもまだ好景気の名残があった時代だ。
 こんなことになって「辞めたい」などと言える雰囲気ではない。
 こんなことなら、我慢してスポーツクラブを続ければよかった、あの時「辞めたい」なんて言っていなければ……その後中学2年生まで辞めるチャンスがなくずるずるとピアノを続けることになるのだが、その間何度も「辞めたい」と言ったあの日に立ち返り後悔し続けることとなった。

 というのも、小学生になった頃から両親の教育方針として「一度始めたことは最後までやり遂げる」というスタンスが生まれていたからだ。途中で投げ出すことはだらしない人間になる第一歩で、真っ当な大人になるためには、まずは「最後までやり遂げる」ことが重要らしかった。テレビにギャンブルで人生が破滅した人なんかが映し出されると、「こうならないために辛くても仕事を投げ出してはいけない」「根性がないから」「粘り強く頑張れ」「努力」などなど日常のいたる場面でこれらの言葉は念仏のように唱えられた。もしかすると、学校に毎日きちんと通って破滅しないでほしい程度の気持ちで言っていたのかもしれないし、または、この頃はまだ年功序列で出世し給料が上がっていく時代なので「続ける」が重要だという実感もあっただろう。ともかくこの「続けること」をよしとする風習が生まれたおかげで、その後、憂鬱なピアノ教室に加え水泳部のハードな日々からも抜け出せなくなるのだった。

次回は7月19日(水)公開予定です。

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新刊紹介

冬野梅子

漫画家。2019年『マッチングアプリで会った人だろ!』で 「清野とおるエッセイ漫画大賞」期待賞を受賞。その後『普通の人でいいのに!』(モーニング月例賞2020年5月期奨励賞受賞作)が公開されるやいなや、あまりにもリアルな自意識描写がTwitterを中心に話題となり、一大論争を巻き起こした。2022年7月に、派遣社員・菊池あみ子の生き地獄を描いた『まじめな会社員』(講談社)全4巻が完結。
講談社のマンガWEBコミックDAYSにて「スルーロマンス」連載中。

Twitter @umek3o

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