2023.6.9
すべての外国料理はイタリアンに通ず……イタリア料理という絶対王者
「現地風の店」が出店すると、なぜこれほど日本人は喜ぶのか。
日本人が「異国の味」に求めているものはなんなのか。
博覧強記の料理人が、日本人の「舌」を形成する食文化に迫るエッセイ。
前回は、イタリアン店主を悩ませる「パスタだけ」問題について。
イタリア料理編最終回となる今回は、イタリアンもまた例外ではない「現地の味原理主義」を考察します。
ナポリピッツァと地方料理がやってきた
1980年代以降、徐々に、しかし着実に浸透していった日本のイタリア料理は、従来のスパゲッティ文化からのしがらみもありつつ、一部ではそれをも上手に取り込んで、2000年頃までにはすっかりそのスタイルを確立しました。
それはある種の定型化と言ってもよいでしょう。もっともこれは、あながちイタリア料理に限ったことではありません。それがタイ料理であれ、インド料理であれ、フランス料理であれ、外国の料理が普及し定着するためには、スタイルの定型化は良くも悪くも必須です。
「イタリア料理とは地方料理の集合体である」ということがよく言われます。それを基点とした時に、日本の定型的なスタイルがどの程度ズレており、またどの程度偏っているのか。現地の各地方を実際に知っているわけではない僕にはわかりませんが、イタリア料理においては「どれだけ現地のそれに忠実であるか」という点は、常に大問題として語られ続けてきたことは確かです。
その話題は往々にして、俗に言う「マウンティング」の形をとって現れます。
「本場のカルボナーラはベーコンも生クリームも使わないんだよ」
「バジルのペストをジェノベーゼと呼ぶのは日本人だけ」
「イタリアでスプーンなんか使ったら笑われるよ」
そんな蘊蓄は、首尾よく周りからの尊敬を勝ち得ることもありますが、内心「ウザい……」と敬遠されることもまた少なくありません。
しかし個人的には、そういった「原理主義」すなわち、異文化の料理は現地そのままのスタイルを忠実にトレースすべきである、という考え方自体には一定以上の意味があると思います。そう考える僕自身も、どこかでやっぱり「ウザい」と煙たがられているのかもしれませんが……。
2000年代後半、そんな(面倒臭い)原理主義者もケチのつけようのない一大ムーブメントが起こります。それがナポリピッツァブームです。
この時期、ナポリピッツァ専門店には一気に世間の注目が集まり、また新店も続々登場しました。これは単に、成熟しきっていたかに思われたイタリア料理界における目新しいコンテンツというだけでなく、日本の外国料理史においてもエポックメイキングな出来事だったのではないかと思います。
というのもナポリピッツァは、最初から「現地そのまま」が極めて強く志向され、なおかつそれを保ったまま流行したからです。従来外国料理は、最初から日本人向けにローカライズされてから広まる、あるいは先駆者は現地そのままの尖った店だったのが、ブームが一般に広がるにつれローカライズされていく、という形がほとんどでした。ナポリピッツァはそのどちらのパターンにも当て嵌まりません。
このことにおいて「真のナポリピッツァ協会」という非営利団体の果たした役割は大きいと思います。これは1984年にナポリで創立され、その日本支部が2006年に設立されました。真のナポリピッツァ協会はその名の通り、本物のナポリピッツァを広く普及させることを目的のひとつとしており、現在国内で91店舗の加盟店があります。