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物心ついた時には「運動が苦手な子」というポジションに……第1話 不憫だが愛されている

 不憫だが愛されている。子供時代はそういう時代だったかもしれない。
 幼稚園くらいの頃、近所の学童の一室を借りて行われる体操教室のようなものに連れて行かれ、顔見知りの近所の子供たちと一緒にかけっこをしたり肋木ろくぼくを登らされたりした。
 この肋木の記憶が鮮烈で、後の人生で「あの体育館の壁についた梯子みたいな木のやつ、なんていうんだろう」と事あるごとに思い出していた。親や友達に聞いても案外誰もわからず、数年経った小学校の国語のテストか何かで「ろくぼく登り」についての文章を目にし、「これ、アレのことじゃない?」と、やっと「肋木」という名前にたどり着いた。
 その時の嫌な記憶として覚えているのが、肋木を上まで登って下りてきて、下から3段目のあたりでジャンプして着地する、という命題をもらったことだ。
 先生らしき人は「遊び」や遊びのスパイスとしての「競争」として肋木登りをやらせたのだろうが、同年代の子供たちがワーッと肋木に登りジャンプして散って行く中、私はジャンプが怖くてできず肋木に取り残されていた。
 生まれて初めて登る肋木、上まで登るのはいい、しかし案外下りるのが怖かった。落ちたら痛そうな高さだし、ジャンプは落ちることと似て いるし、怪我をしそうで怖かった。
 そう思って止まってしまうと、その高さからジャンプするのが物凄く怖い。しかも、子供たち全員があっという間にジャンプし終わって、私が下りるのを体育座りで待っている。そんなしんとした空気と、ぽかんと不思議そうに見つめる子供たちと、絶対に手助けはしないと決め込んでいる教育的に正しいであろう先生の厳しい笑顔……。「ほら、大丈夫、ジャンプしましょ」と明るく叫ぶ先生。さっきまでぽかんとしていた子供たちも、徐々に待たされているのは肋木という孤島でうじうじしている目の前の子供のせいなんだと気づき始め、退屈した無表情な顔に変わっていく。怖くて見れない。孤立無援である。それに何より、同年代の子供たちの中で「自分だけがちゃんとできない」という状況が恥ずかしい。
 その瞬間、全てが敵だと思った。
 怖いのと恥ずかしいのと、無言で責められているような居心地の悪さと、それが不当であると感じられるが言葉にできないフラストレーション、そして単に「できない」という悔しさで泣き出してしまった。
 きっと先生にはジャンプが怖くて泣き出したように見えただろう。わんわん泣き出したら、ジャンプせずに一歩一歩下りてよい、という許可がおりた。震える足でゆっくり下りたのを覚えている。
 後に「なぜあんなところに行かされたのか」と母に聞いたところ、なんだか他の子に比べて運動ができないようだったから心配して入れたのだそうだ。

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冬野梅子

漫画家。2019年『マッチングアプリで会った人だろ!』で 「清野とおるエッセイ漫画大賞」期待賞を受賞。その後『普通の人でいいのに!』(モーニング月例賞2020年5月期奨励賞受賞作)が公開されるやいなや、あまりにもリアルな自意識描写がTwitterを中心に話題となり、一大論争を巻き起こした。2022年7月に、派遣社員・菊池あみ子の生き地獄を描いた『まじめな会社員』(講談社)全4巻が完結。
講談社のマンガWEBコミックDAYSにて「スルーロマンス」連載中。

Twitter @umek3o

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