2021.12.1
脊柱管狭窄症と借金に苦しんだアラフィフ農家の決断
「われも、小菊、やらんか」
作りすぎたキャベツの価格が暴落し、出荷されないまま廃棄処分になっていると点けたテレビがその様子を映していた。峰田からはるか遠くの、ただのいちども行ったことがない長野県での出来事ではあるけれど、それでも、彼は顔をしかめ、自分の身に起こった災難のように、う~ん、と唸って画面を見つめた。彼にも経験がある。
峰田では、遅くとも四月のなかごろまでには稲の苗を植えつけるのだけれど、ときには病気が原因で、あるいは、何かの拍子で除草剤が水に溶け込んだのが原因で、苗が枯れてしまうことがあった。せっかく植えた苗だけれど、そうなるとトラクターですき込むしかない。似たような経験をした者どうし、廃棄処分する生産者の気持ちがテレビ画面から痛いほど伝わってきた。キャベツに限らず、野菜を出荷するには、まずは泥を洗い落とさなければならず、それから箱詰め、農協に供出する前のこの段階ですでに金がかかっている。そのうえ、価格がどれほど暴落していようとも農協での手数料25パーセントは変わらないから、だったら、いっそのこと出荷しないで廃棄処分にした方がマシ、となる。出荷して大赤字になるくらいなら、同じ赤字でも、土に返して畑の肥料にした方がよっぽどいい。だからトラクターですき込んで土に返す。
なにしろ自然相手だから、農業はそこが難しい。いいときもあれば、悪いときもある。義父の代まで、扱う作物といえば米とキノコ類だけだった。野菜も花卉もほおずきも、農協の担当者に勧められるまま手をかけるようになったのは彼の代になってからのことなのである。きゅうりではいい思いをさせてもらった。1本15円で売れた。手数料の25パーセントを差し引いて、それでも15円だから、とにかく儲かった。棚田の基盤整備のために義父がこしらえた借金が目に見えて減っていったほどだった。
しかし、大儲けできたのは、後にも先にもそれ一回きりでしかない。きゅうりの栽培を除けば、何をやっても「大成功」と胸を張れるものはなく、食用ほおずきでの大失敗ほどではないにしても、野菜作りでは大なり小なり赤字をだし、借金は増えるばかりで減ることはなかった。それでも農協は相変わらずの太っ腹ぶりで、はたから見ればなんとも不思議な〝農協と農協組合員の関係〟を崩さない。ところが、ある日を境に潮目が変わる。その変わりようときたら、ドラフト1位指名でもてはやされて入団したピッチャーが、鳴かず飛ばずの3年後、非情にも戦力外通告を受けたくらい劇的だった。後になって思えば、潮目が変わったのは小泉純一郎が総理大臣になってから先のことだと思い当たるのだけれど、当時の彼は、はじめのうちは農協の対応に違和感を覚える程度だった。
小菊の需要が伸びているようだと噂には聞いていたが、だからといってにわか仕込みで手をだしたところで、出荷できるのは早くても1年か2年先。それまで市場での人気が続いている保証などないのは百も承知している。そんな彼に「われも、小菊、やらんか」と農協の担当者が話を持ちかけてきた。と、ここまでならいつもの農協なのだけれど、このときは、話はそこで終わっていない。市場での小菊人気をひとくさり語った担当者は、「これで当てれば儲かる」「当てれば借金もずいぶん返済できる」と続け、「小菊の栽培をするか、それとも返済金を入れるか」みたいな調子で栽培を迫ったのだった。最後の文句は、これまでにただのいちどとして聞いたことがない強引とも思える言葉だった。
担当者が、本当に強い調子で迫ったのかどうか、それを知る手だてはないけれど、話をもちかけられた当の彼は、そう受けとめてしまっていた。ボクシングのようにゴングがカーンッとでも鳴ればわかりやすいが、農協は鳴らさない。鳴らさないからわからなかったけれど、小菊の一件は、実は、なんとも不思議な農協と農協組合員の関係の解消を知らせる無音のゴングだったようだ。そうとは知らず、ただ違和感を覚えただけの彼は、その強引を、新任の課長が張り切っているのだろう、くらいにしか考えず、例のごとく言われるがまま小菊の苗を仕入れている。1株の値は2万円、それを30株である。