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いつも鏡を見てる

800万円借金して「ほおずき」栽培に手を出した農夫の末路

〈珍しいフルーツ〉への挑戦

 この頃の彼は、ひたすら仕事に打ち込んでいた。長男が生まれせいは大いにあって、もしかすると、彼の農業人生のなかでもっとも仕事に熱を入れていた時期と言っていいかもしれない。

 収穫した野菜の一部は『道の駅』に卸した。生産者である彼の名を付けた野菜が売れていくのを直に目にするのは嬉しかったし、20パーセントの手数料を差し引いても、現金収入になるのはありがたかった。農家仲間が集まれば決まって米づくり自慢が始まり、自分が作る米こそが日本一うまいと口で競い合った。リーダー格の何人かのなかにはいつだって彼の姿があった。選挙となれば自民党の応援の先頭に立つひとりだったし、消防団の分団長でもあり、地域の行事があればそれを執り行う中心メンバーのなかにも彼はいた。元を辿れば豪農、藤枝家、その跡取りである彼が地域内で一目置かれるのは当然の成り行きだった。そして、農協もまた、彼をそう見ていたふしがある。食用ほおずきのときもそう。農協は、新しい試みを農家に持ちかけるとき、最初に彼に声をかけた。「われが先頭に立って」と。そこで「よしッ」と応えてこその男気だ、みたいに捉えるのが彼なものだから、農協にしてみれば好都合だったかもしれない。けれど、農協の思惑がどうであったにせよ、地域の担い手として頼られる存在であろうとするのは彼の根っからの性分ゆえだった。

 1週間後の刈り入れを控えた豊作の稲をウンカに全滅させられたり、高額なトラクターを買って大失敗もしたけれど、そうした苦い経験もぜんぶ合わせ飲み、ひとりの農業従事者としての日々の満足感にどっぷり浸かっていたのがこの頃の彼だったのだ。そこに農協から持ちかけられたのが、食用ほおずきの〝うまい話〟である。いけるかもしれない、と思った。農協の担当者の誘い文句どおりにとんとん拍子で事が進めば借金をずいぶん減らせる、と。

 農協のこの誘いに乗るのは、負けの公算が大の博打も同然だったのかもしれないが、あのときは、そう考えたところで結果は同じ「やる」だったろう。いまでも、「当時の俺は」と、自分への言い訳ばかりが浮かんでくる。

 食用ほおずきは〝珍しいフルーツ〟として日本でも流通し、市場ではストロベリートマトとかゴールデンベリー、あるいはオレンジチェリー、フルーツホオズキなどと呼ばれ、有名どころでは秋田県産のブランド、フルーツほおずき『恋どろぼう』が知られている。ただ、それが安定して生産されるようになったのは、つい最近のこと。恋どろぼうを栽培する秋田県上小阿仁村も先駆けの一か所だといわれているが、この村にしたって、農家が栽培に本腰を入れるようになったのは1998年になってからだった。それより10年も前、鑑賞用ほおずき栽培の経験だけを頼りに、確かなノウハウもない環境で、彼は800万円もの資金を投じて未知も同然の農産物に手をだしたのだ。

 結果は散々だった。

 栽培自体は難しくはなかった。負け惜しみと笑われるのはしゃくだが、栽培は、本当に難しくはなかった。幹の背丈は180センチくらいと聞いていたが、とんでもない。専用ハウスのなかは熱帯のジャングルかと思うほど伸びた幹に覆われた。そうして成長し、収穫した食用ほおずきは美味しかった。これはうまい。売れるぞ、と確信を持った。トロピカルフルーツとはどんな果物のことを指すのかは知らないが、自分が栽培した食用ほおずきを味わった瞬間、「トロピカルフルーツ」という言葉が頭のなかでぐるぐるまわりだしたのを覚えている。

 味はよかったけれど、規格どおりに作れなかった。3年は我慢しようと頑張ってはみたけれど、結局、ものにならなかった。発注主が求めたのは直径がぴったり六センチの、食用ほおずきにしてはずいぶんサイズが大きいものだった。なぜ6センチでなければいけないのか、それがどう使われるのか詳しくは詮索もしなかったが、確かなのは、苗を植えた翌年、彼のハウスで収穫された食用ほおずきは規格外で売り物にはならなかったという事実である。次こそは、と迎えた3年目の売上げはわずか10万円。彼のもとに残ったのは800万円の借金だった。世の中に〝うまい話〟は、そうそうない。

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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