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いつも鏡を見てる

「ここはお化けがでるんだよ」駅で客待ちするタクシー運転手が語る”お化け”の正体とは?

タクシードライバーの職務経験を持つノンフィクション作家・矢貫隆さんが、ご自身ふくめて様々な背景を持つ多くのタクシードライバーたちの人生を徹底取材して描いた、ドラマティック・ノンフィクション『いつも鏡を見てる』
日経新聞などの書評欄でも紹介された、昭和・平成・令和を貫くタクシードライバーたちの物語を、期間限定で全文無料公開します!(不定期連載)

前回まではバブル絶頂期の若手タクシー運転手が体験したエピソードでした。
今回からは、バブルが終わった2000年代に個人タクシーの運転手になった中邑の物語です。

いつも鏡を見てる 第9話

ここはお化けがでる 2005年3月4日

 九州南部の種子島、屋久島地方で降雪を記録した3月4日、気象庁は東京を含む関東地方に大雪注意報をだしていた。

 12月は例年にないくらい気温の高い日が続き気象庁の予報どおり暖冬を感じさせたが、年が明けると一転、寒波がたびたび襲来し、新潟県では中越地震の被災地が19年ぶりの豪雪にみまわれている。3月に入ってからも状況は変わらず、本州の南海上を発達中の低気圧が進んだこの日、東京の都心でも二センチの積雪があった。届いたばかりの読売新聞の夕刊の一面は「関東 大雪」の見出しを付けて「私大入試繰り下げ 空の便欠航」を伝え、激しく降り続く雪のなか傘を広げて信号待ちをする人たちの写真を掲載していた。天気図が関東の南の海上に居すわる低気圧を示している。それを確認したところで「雪か」と、中邑悠貴は誰もいないリビングで今夜の天気を声にだし、ベランダにでるガラス戸を開けた。手摺りに右手をかけ覗き込むようにして真下の駐車場に目をやると、中邑の営業車、クラウン・ロイヤルサルーン・ハードトップに雪が被っていて、そのクルマが個人タクシーと四階のベランダからでもひと目でわかる〝でんでん虫〟形の行灯は、雪だるまのようになってぽこんと盛り上がっている。被った雪の量は、となりに停めてある青いホンダ車の3倍くらいはありそうだった。民家の屋根はどこも真っ白で、高島通りの信号につながる片側一車線の道は通行する自動車が轍を掘り、そこから雪が溶けて濡れた路面が黒く光っている。歩道には、明日の夕方までに通行人の二人や三人を苦もなくひっくり返してしまうくらいの雪が残っている。この様子だと今夜の人出は少ないに決まってる。早仕舞いするタクシーが多いのも想像がつく。今日も忙しくなるかもしれない。出がけにはスタンドに立ち寄って、新潟往復でほとんど空っぽになったガソリンを満タンにしなければ、と、中邑悠貴は仕事前の手順を頭に浮かべるのだった。

 携帯電話の呼出し音が鳴ったのは、リビングのテレビを点けた直後、再放送の時代劇のテーマ音楽が始まったのと同時だった。この勧善懲悪は、始まりの5分や10分を見逃したってストーリーはだいたいわかる。かけてきたのは吉永栄一で、案の定、ゆうべの仕事の、その後の確認である。

「ゆうべはご苦労さん。どうだった?」

「無事に、ちゃんと送りました。さっき起きたばかりで、ちょうどいま、吉永さんに報告の電話をしようと思ってたところです」

「雪、たいへんだったろ」

「越後湯沢から先は雪で関越が通行止めだったんで、そこからは下っ走りでした」

 中邑は手短に結果を伝え、「また今晩にでも」と時間を決めて電話を切っている。「話があるから」と吉永が切り際に言った言葉も気になるし、忙しくなる前の時間帯にコーヒーでも飲みながら長岡の件を詳しく報告しないといけないだろう。テレビに視線を戻すと、お伴のふたりが宿場のならず者たちと大立ち回りを始めていた。

先輩運転手が抱える上客

 ゆうべ吉永から突然の電話があったのは、日付が3月4日に変わって一時間ほど経った頃、NHKの『ラジオ深夜便』が始まって間もないときである。いきなり「タイヤ、4本ともスタッドレス履いてるよな」と吉永は尋ね、「はい」と答えるや「お前しかいないんだ、これから新潟の長岡まで行ってくれ」と続けた。

 突拍子もない依頼に言葉が詰まって「はァ」と嬌声をあげるしかなかったが、吉永が言うには、つまり、彼が抱えている上客のひとりを長岡市の自宅まで送ってもらいたいということだった。話だけは前から聞いていたから事情はすぐに吞み込めた。吉永は何人もの霞が関の役人を顧客に持っていて、そのほとんどが東京以外に自宅がある。彼らは週に二度か三度しか自宅に戻らない生活らしいが、帰るにしても仕事終わりが深夜になるからタクシーで、となる。神奈川県や埼玉県ならともかくも、なかには山梨県や群馬県、もっと遠くは新潟県まで当たり前のような顔をしてタクシーを使う連中もいるのだという。吉永にはその種の客が何人もいて、いつもは仲間うちで仕事をまわしあうのだが、しかし、この日は天気予報が伝えた「未明から大雪」で予定が狂った。仕事を休んだクルマが何台かあり、新潟県の長岡まで走れるクルマの都合がどうしてもつかない。そこで中邑にお鉢がまわってきたわけなのだ。

 言われたとおりコンビニでキリン・クラシックラガーの500ミリ缶を2本と、氷、柿ピーを買い、客との待ち合わせ場所に指定された日本郵政ビル近くの、路肩にパーキングメーターが並んでいる脇道へと向かった。ここにくる前にスタンドに寄ってきたからガソリンは満タンだし、二重にしたコンビニ袋に氷を入れてあるので缶ビールが生ぬるくなる心配はない。

 その男が現れたのは約束の二時をちょうど五分だけ過ぎたときだった。会ったこともない客との深夜の待ち合わせである。中邑にしてみれば誰が〝その男〟なのか、ちゃんと合流できるのか不安だったが、男は、まるで迷いもなく中邑の白いクラウンのドアをトントンと叩いた。交差点の角から三番目のパーキングメーターが約束の地点だと事前に話がついているらしい。

「吉永さんの代車ですよね」

 男が問い、中邑は「長岡市内でいいんですよね」と確認した。

 よけいなことは言わず黙って運転してろ。お前から話しかけるな。吉永栄一から指示されたとおり「ビール、冷えてますから、いつでも」とだけ言ったきり、中邑は内堀通りを走りだす。待ち合わせ場所からして、この男、財務省か郵政省の役人なのだろうが、それすら聞くことはしなかった。

 日付が変わる前に降りだした雪はやむ気配もなく、予報どおりこれから激しくなりそうな勢いだが、首都高はまだ通行止めにはなっていない。東京がこの調子だと関越自動車道ではもっと降っていると考えておいた方がいいだろう。長岡に着くのは朝になってしまうかもしれない。中邑は時計を見た。

 やっぱり、だ。関越道を進むにつれ雪は激しさを増し、花園インターチェンジを過ぎる頃には本線車道がわずかにシャーベット状になっていた。電光板の文字の一部が吹きつけた雪に隠れているが「60キロ規制」はちゃんと読み取れる。午前3時25分、路肩に「神流川」と記された看板が確認できたから、この先の橋を渡れば群馬県、しばらく行くと道は赤城パーキングがある地点に向かって勾配がきつくて長い登り坂に差しかかる。雪で立ち往生でもしているクルマがあると厄介なことになりそうだが、そうでなければ、スピードはだせないまでも、とりあえず関越トンネルを抜けるまでは何とかスムーズに走れるはずだ。フロントガラスの向こう側は真っ黒いスクリーンで、その真ん中をヘッドライトが青白く切り裂き、目の前にとつぜん現れる雪が斜め上から中邑をめがけて飛び込んでくる。錯覚とはわかっていても、いっときも途切れることなく繰り返す終わりのないフィルム映像でも見ているかのようだった。電光板に「越後湯沢から先、通行止め」の表示がでていた。

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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