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「ここはお化けがでるんだよ」駅で客待ちするタクシー運転手が語る”お化け”の正体とは?

個人タクシーならではの客

 飯田橋駅前の、目白通り沿いの乗り場に並ぶ客待ちタクシーの列の長さはガード下までだったり50メートルも連なったりと時間帯によって伸び縮みするが、それは日曜日を別にすればいつも目にする光景である。昼のうち客足は亀の歩みほどに鈍く、電車が着いたのにひとりの客もタクシーに乗らないことだって珍しくはない。花番がまわってくるまで40分待ちは覚悟して、待ったあげく、乗ってくるのはワンメーターの伝通院や凸版印刷までの650円の客、せいぜいいっても椿山荘の1050円の客と相場は決まっている。それを承知で並んでいるくせに近場までの客に舌打ちし、だったらここで仕事しなければよさそうなものだが、それでも付け待ちの列が途切れないのは、誰に強制されたわけでもないのに並ぶのを日課にしている運転手の面子が揃っているのと、「空車で走りまわるよりはマシ」と自分に言い訳する運転手がわんさかいるからだ。少しばかり様子が変わるのは深夜割増の時間に入ってからで、赤いランプを光らせる空車の列は、中途半端に詰まりを掃除した排水口の水みたいに、順調ではないけれど、そこそこ流れだす。ロングの客がでることもまれにあって、一週間ほど前、中邑も大宮までの客に当たっている。飯田橋から首都高に入り、40分ほどで目的地に着いて料金は9000円だった。この程度のささやかなラッキーに遭遇するのは飯田橋に限らずどこの駅の乗り場でもいっしょだけれど、当たりを引く確率がめっぽう低いのも、やっぱり他の乗り場といっしょでしかない。

「だけどな、ここはお化けがでるんだよ」

 訳知り顔で話す日課組の運転手の、駅付けをやめようとしない言い訳がましい台詞はもう何度も聞いた。まるっきり信じないわけではないけれど、耳にするたびに「俺はここからお化けを乗せた」という運転手にお目にかかったことはいちどもないと腹で笑う中邑だった。

 タクシー乗り場に白線で枠を描いた付け待ちスペースは3台分しかないが、深夜割増の時間帯になると、長さにして百メートル近くも空車の列ができる。その最後尾に並んだ中邑が列の真ん中あたりを越したところまで進んだのは、居酒屋の客が終電の心配をするには早すぎる23時を過ぎたばかりのころだった。足のある幽霊が道に迷っているみたいな姿を見ると、酔っぱらいは器用に歩くものだと感心する。彼らを除けば駅に向かう帰宅者たちは誰もが足早で、その数は時間の経過とともに増していく。それに較べれば飯田橋駅で下車する人の数は圧倒的に少なくて、だから、順番待ちの運転手たちは、電車が発着するたびに背伸びするようにしてはるか前方を注視する。これで何台分くらい前に進み、自分に花番がまわってくるまであとどれくらいと皮算用するのである。中邑悠貴は、個人タクシーとして仕事を始めてからわずか数か月で営業車をクラウン・ロイヤルサルーン・ハードトップに乗り替えることになるのだけれど、そのきっかけとなる出来事がこのとき起こる。タクシーの列に視線を向けたまま駅の方向から歩いてくる60歳前後とおぼしき男の姿が中邑の視野に入った。男は、並んでいる空車を、いち、にっ、さん、と指差しながら歩き、ボディに青いラインが入った白いタクシー(中邑車)のところで指を止めた。それからあらためて指を差し直し、声は聞こえないが口が「乗るよ」と動いた。こういう場合はロングの客だとタクシー運転手なら誰もがピンとくる。

「個人タクシーを探してたんですよ」

 乗り込むなり男は言い、「いつもなら個人タクシーがもっとたくさん停まっているのに今日は少ないよね」と続けた。

 男は「所沢まで頼みます」と行き先を告げ、「はい」と返した中邑は「やっぱり」とロングの予感的中を腹で思い、「埼玉の所沢ですね」と確認し走りだす。「でも、まだ飲み足りない気分だよ」と、男の言いようは飲み仲間に話すような調子で、聞いた中邑も酒好きときているものだから、「じゃ、コンビニでビールを買ってきましょう」と合わせ、首都高に入る前にビールとワンカップ、それに100円のつまみを買って客に渡している。この出来事があってから、男は週に一度か二度の割合で中邑のタクシーを利用するようになった。彼が使うタクシーチケットには『熊谷組』が印字されていて、それから察するに、男は熊谷組かその関連会社の社員なのだろう。「大沢文也」と自分の名を教えてくれたのは二回目に乗ったときで、彼の自宅は群馬県の高崎市内にあるのだが、週のほとんどを所沢市内のホテルで暮らし、何日かにいちど高崎に戻る生活を続けているのだという。

「今日はうちに帰るから」

 いつものように中邑が手渡した缶ビールを片手に大沢が言ったのは、3回目に彼を乗せた夜のことだった。「うちに帰る」。それは「高崎までやってくれ」の意味である。飯田橋から高崎市までだと直線距離で結んでも100キロ超。告げられた瞬間、「ここはお化けがでる」の台詞を口にした運転手のしたり顔が中邑の脳裏に浮かんだ。バブルの頃に較べればだいぶ小ぶりだが、それでも、お化けは本当にでた。大沢の自宅に着いた時点で料金メーターが表示したのは4万6000円を少し超えていたが、「これからは、毎回、高速代込みで4万5000円」で話がついている。理屈ではわかっていたつもりだが、個人タクシーでは、こういう仕事もあるんだな、と、思い知った出来事だった。

(以下、次回に続く)

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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