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いつも鏡を見てる

「夜は国会裏で無線待ちしろ」バブル絶頂期の先輩タクシー運転手の教え

タクシードライバーの職務経験を持つノンフィクション作家・矢貫隆さんが、ご自身ふくめて様々な背景を持つ多くのタクシードライバーたちの人生を徹底取材して描いた、ドラマティック・ノンフィクション『いつも鏡を見てる』
日経新聞などの書評欄でも紹介された、昭和・平成・令和を貫くタクシードライバーたちの物語を、期間限定で全文無料公開します!(不定期連載)

前回に続き、舞台は「1980年代後半の東京」です。20代のタクシードライバー・磯部健一は、バブル経済の渦中ならではの経験を重ね――

いつも鏡を見てる 第7話

ブルーラインタクシー 1989年3月29日

 東京のタクシー*1の数は2万2000台強で、それを効率よく稼働させるのに必要な運転手は約5万5000人なのだというが、実際には5万8000人近くもいる。不況になれば運転手は増え、逆に、景気がよくなれば数は減る。昔から変わらないタクシー業界の常識からすれば現状は少しおかしな事態だといえそうだけれど、とにかく現実問題として運転手が溢れている。それが意味しているのは、タクシー会社の車庫に遊んでいるクルマはなく、保有している営業車の稼働率が高いということでもある。磯辺が勤める会社にしてもそれは同様で、彼が籍を置く常盤台営業所には500台を超える営業車があるのだが、運転手はその2.7倍もいるのだ。もっぱら自分と自分の相番が乗る担当車を持たない運転手が100人単位でいるという意味である。彼らは、彼らが勤務する日に空いている誰かの担当車で営業にでるしかなく、そうした運転手をタクシー業界では「スペア」と呼んでいる。

 日本交通は老舗のタクシー会社らしく、運転手が担当車を持てるようになるのも年功序列で、それと同時に、10人前後の運転手をひとつの班とする小集団管理体制が敷かれている。運行管理者を頭にいくつもの班が作られ、それぞれに班長がいる。担当車を持つ運転手はそのどこかの班に属するわけだけれど、担当車を持たない者は班には属さないスペア扱い。さらに、スペアにもSとSSに階級が分かれていて、入社して2年間ほどは、どの班の何号車に乗って仕事にでるのか出社してみないことにはわからないSS。いわば下積みの、さらに下積み運転手の立場からのスタートである。スペアであるのは同じでも、SSからSに上がると乗務するのはいつも決まった班の空き車になる。昇格まで約二年。そんな不文律があるにもかかわらず、磯辺は一年半も経たないうちにSにあがり、どういうわけか彼に何くれとなく目をかけてくれる塚本悟が所属する班のスペアになった。それからわずか1年後、運行管理者に「イソケンを相番に」との塚本の強引な押しが効いたらしく、磯辺健一はスペアを卒業し彼の相番として235号車を担当するようになっていた。2年半で担当車を持つのが異例なら、そのクルマが30万キロも走ったお古でなく下ろして3か月しか経ってない新車だというのも異例中の異例だった。

「国会裏は感度がいいから、夜はそこで無線待ちをしてろ」

 まだスペアの運転手だったころの磯辺に教えてくれたのは、いまは彼の相番になっている塚本悟である。仕事ぶりや長けたリーダーシップで運転手ばかりか事務所の職員からも一目置かれている古参の塚本は、歳が20以上も違う磯辺健一を「イソケン」と呼び何かと気にかけてくれている。大宮市にある彼の自宅へ食事に呼ばれたことも何度かあって、子どもがいない塚本夫婦にしてみれば磯辺は息子のようなものなのかもしれない。

「夜はな、12時過ぎて無線を待つなら国会裏だ」

「飯田橋の駅で付け待ちしてろ。列の後ろの方に止まって動くな。無線、神楽坂あたりからいいのが入る」

 塚本の自宅に初めて呼ばれた日、夕食前のビールを飲みながら彼が最初に教えてくれたこの〝おいしい無線の仕事〟はいまも生きていて、飯田橋あたりは磯辺が好んで無線待ちをする仕事場の一か所になっている。

 先週、九段下で取った無線の客は熊谷組の営業マンだった。半日がかりで神奈川県内の得意先をまわり、飯田橋に戻ってみれば運賃は4万円を超えていた。前の出番では野村證券に呼ばれ、日本橋から茨城県の潮来いたこまでの往復で、運賃はやはり4万円。日本交通ブランドと営業部の頑張りのおかげで顧客の多さは4社でもトップクラスだが、なかでも霞が関や飯田橋、神楽坂を中心とした一帯は上客からの無線がたくさん入るエリアのひとつである。神楽坂下から上に向かって「うなぎ割烹の志満金の前で」、「毘沙門天の前で」、「中華五十番の前で」、無線がそう流したら、乗ってくるのは、まず上客と思って間違いない。十中八九、日本交通の単独チケットを使う日債銀や熊谷組、石原産業の関係者だし、ここの連中は、いくらまでのタクシー代が認められているんだろうと呆れるほどタクシーの使い方が半端じゃない。先月は、昼の時間帯に山梨県の甲府市まで走ったし、1日のうちに成田空港を二往復した日もある。栃木県のゴルフクラブまでの往復も何度かあった。午前中にゴルフ場に到着し、夕方まで現地で待機、その間も料金メーターは上がっていく楽な仕事だった。神楽坂下の家の光も上客のうちの一か所で、塚本悟が根拠もなく「接待が多いのだろうが、農協系だから地方在住の社員が多いのかも」と推測を聞かせてくれたことがあったが、確かに、なのである。無線で呼ばれると、昼夜に関係なく行き先は埼玉県の川越だとか千葉県の我孫子だとか、とにかくメーターが1万、2万を超えるのは珍しくもない。総理大臣になったばかりの宇野宗佑に神楽坂の芸妓とのスキャンダルが発覚した頃からだから、磯辺健一がこの近辺での無線の仕事を好んで受けるようになって、そろそろ2年になる。

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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