よみタイ

夏祭りの夜は人を全力で走らせたり、恋よりとうもろこしを選ばせる奇跡が起きる

たまたま居酒屋で隣あわせた人と話が弾み、そのまま連絡先も交換せずに別れた。 電車の向かい側に座った人をずっと眺めていた。 一期一会といえばそれまでだけど、その時の会話が、表情が、何気ない何かがずっと頭に残って離れない…… スズキナオさんの毎日はそんなモノで溢れている。そこで湧き上がる気持ちを彼はこう表現することにした。 「むう」と。 この世の片隅で生まれる、驚愕とも感動とも感銘ともまったく縁遠い、「むう」な話をとくとご覧あれ。
夏の思い出といえば思い浮かぶものはなんですか?
海、キャンプ、スイカ……そして、やはり夏といえば祭り。
幼い子供もいい大人の心も湧き立てるから生まれてしまう、夏祭りの不思議な「むう」。

例年のようにはいかない夏だ。

各地で夏祭りがどんどん中止になっている。私の住む大阪には、毎年7月末に開催される「天神祭」という大きなお祭りがあるのだが、今年はそれも中止されることになった。「大川」という川沿いに延々と屋台が立ち並び、すれ違うのが大変なほどたくさんの人が行き交い、川の上に「船渡御ふなとぎょ」とよばれる神事のための船が何艘も浮かぶ。

私の家はその大川から遠くない場所にあって、お祭りの最後を飾る打ち上げ花火のドーンという低音が部屋の中にいても聞こえるほどだ。「始まった!」と思って外へ出ると、近所の路地裏には花火が見える穴場を知っている人たちが集まり、屋根やマンションの間の小さな空に鮮やかな光が広がるのを見上げている。

そんな風景が無いままに今年の夏は過ぎていく。
そのかわり、これまで一般に公開されることが一切なかった「本宮祭」という神事が今年はなんとYouTubeで生配信されることになり、そのアーカイブ映像をいつでも見ることができる。その動画をクーラーの効いた部屋で見ながら、なんと不思議な夏だろうかと思う。

「祭」のこの一文字を目にするだけで血が騒ぐ人は多い
「祭」のこの一文字を目にするだけで血が騒ぐ人は多い

時に夏祭りの夜は奇跡を見せる

幼い頃の夏祭りの思い出を友人が語ってくれた。
友人は長野県出身で、生まれ育ったのは山あいの小さな町だった。周りを取り囲む豊かな自然以外には何もなく、後年、その友人はヤンキーとなってバイクで辺りを走り回るようになるのだが、聞いたのはそれよりだいぶ前の話である。

小学校高学年の頃の盆踊りの夜の話だ。友人の町の盆踊りは、今思えばかなり小規模なものだったとのことだが、それでもいつもとは違う特別なムードに胸がときめいたそうだ。友達と笑い合いながらその辺りで遊んでいたところ、少し遠くに自分の父親の姿が見えた。賑やかな夜、大人たちにとっても一年に数回あるかないかのテンションの上がる夜である。子どもだった友人の目から見ても、父はすでに相当酔っ払っているように見えた。

友人の父はとても恰幅がよく、お腹が突き出るように大きくて、いつもその体を重たそうにしながら歩いていたそうなのだが、その父が、ふとした拍子に近所の子どもを追いかけ、驚くようなスピードで走り出したという。追いかけられた子どもは笑いながら逃げていく。友人は父親がそのような速度で動くのを初めて目にしたという。

「親父があんなに機敏に動けるなんて、知りませんでした」と友人は言う。
これまで見た父親の動きの中で最速のスピード。そんな記録がひっそりと生まれた奇跡のような夜が、この世界に確かにあったのだ。

盆踊りの醍醐味はその「一体感」にあるという
盆踊りの醍醐味はその「一体感」にあるという
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スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。
WEBサイト『デイリーポータルZ』『メシ通』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。
著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、パリッコとの共著に『酒の穴』、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』、『“よむ"お酒』など。
Twitter●@chimidoro

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