2026.5.20
ギネスの次は世界遺産!コーダとのイタリア旅は続く【サーフィン犬 コーダが教えてくれたこと 第7回<後編>】
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これが最後の旅になるかもしれない。12歳のコーダとの覚悟
お次はイタリア鉄道旅へ。まずはミラノから高速鉄道ITALOで2時間ほど南下してフィレンツェに向かいました。花の都・フィレンツェでは、世界遺産に登録されている「フィレンツェ歴史地区」にある、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂をバックにスケートボードに乗ったコーダ。まだ太陽も出ていない、ひんやりした石畳の街並みの中をふたりでのんびりスケートボードしていたら、これまで慌ただしさに追われてゆっくり考える時間もなかった中、イタリア渡航やギネス世界一達成の実感が急に湧いてきて、コーダをぎゅっと抱きしめました。こんな世界の果てまで私と一緒に来てくれて、ありがとうコーダ。本当にありがとう……。


途中、ニコレッタから「(帰国に必要な検疫のための)獣医の予約が取れた」との連絡が入ったため、旅を中断してミラノへとんぼ帰り。コーダの診断にあたった獣医からは「心臓病があるのは分かっている?これで日本の獣医が渡航をOKしたの?」と言われました。
実はコーダには僧帽弁不全症があり、それが分かったのはコーダが10歳の時でした。以来、薬を飲ませながら病気と付き合ってきて、コーダが年齢を重ねるとともに心臓が少しずつ肥大してきていることも分かっていました。それでも私は、コーダとイタリアに行くことを選択し、獣医師であり友人でもある先生と事情を相談した上で手続きをクリアしてここまでやって来たのです。
「結構良くないよ。最悪、飛行機に乗れないかもしれない」と言われましたが、最終的には書類を書いてくれ手続きが完了し、診察は終わりました。
十分過ぎるほど承知していたコーダの病気。この時も、落ち込むより、12歳のシニア犬で、持病の心臓病は「悪化することはあっても良くなることはない」状態のコーダが、今イタリアに来て、一緒に夢を叶えられたことの嬉しさの方が大きかったです。これが最後の旅になるかもしれないことも覚悟して来ているので、この奇跡のような時間をあともう少し過ごして、お互いにとって一生忘れられない記憶にしようと思っていました。悩んで立ち止まっていても、覚悟して前に進んでいても、今この瞬間に時間はどんどん流れていっているのです。
再び鉄道で南下し、ピサへ。有名なピサの斜塔でコーダと一緒に写真を撮りたくて、駅から歩いて向かいました。青空の下、短い尻尾をプリプリと振りながら張り切って前を歩くコーダ。その後ろ姿を今でもはっきりと覚えています。

そして、ピサからジェノバへ。港湾都市のジェノバでは、ガイドブックで見つけたボッカダッセというカラフルで可愛い港町を見たかったのと、海が大好きなコーダに、イタリアのビーチを見せたかったのです。あいにくの雨で、ボッカダッセに向かう道はずっと傘をさして歩き、やっと着いた念願のビーチはなんと犬の立ち入りが禁止。それでも近くの別のビーチに移動して、少しだけ海に入ったコーダの嬉しそうな顔を見たら、来てよかったと思いました。ボッカダッセの街並みは、私たちがよく散歩している幕張にどこか似ていて、まるで故郷に戻ったかのような懐かしさがありました。
ジェノバからミラノに戻り、最後にもう一度街歩き……とも思ったのですが、ホテルにチェックインした途端コーダと泥のように眠ってしまい、そのまま帰国の朝を迎えました。当日は、テレビ局の車が空港まで送ってくれ、コーダは再び貨物室での旅ですが、コーダは羽田からミラノまで19時間入っていたクレートに嫌な顔ひとつせずスッと乗り、帰りのフライトは偏西風に乗って15時間。
帰りの機内で、私は一緒の座席に座ることのできないコーダに代わって、窓の外に広がる雲の上にギネス世界記録のメダルを掲げました。世界一になった者しか手にすることができない、英雄の証。短い犬生の中で、二度も世界記録に挑戦して、一度は敗北したのにちゃんとリベンジして、世界一のスケボー犬になったコーダ。
世界記録に挑戦したあの日、40人の足の間から、真剣な燃えるような眼差しのコーダと見つめ合ったあの時。「そのすべてが愛だったのだ」と今は思っています。

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次回、連載第8回は6/17(水)公開予定です
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