2020.10.27
ドラフトの季節がくると思い出す、史上最多指名を受けた野茂英雄のこと~野茂英雄(元プロ野球選手)
高校卒業時にもプロからの誘いはあったが、新日本製鐵堺へ入社し、社会人野球界で活躍。自身最大の武器となるフォークボールを習得、日本代表に選出され、1988年のソウルオリンピックでは銀メダル獲得に貢献。 1989年近鉄バファローズ入団後は、ファンの公募によって命名された「トルネード投法」と呼ばれる独特なフォームから繰り出すフォークなどで三振を量産し「ドクターK」の異名をとり、日本プロ野球界において数々の輝かしい記録を打ち立てる。1995年にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結び、メジャーリーガーとなってからも投手として大活躍した。
もしも、あの時あの球団があの選手を……
歴史に「もしも」はない、とはよく言われる話だ。しかし我々はしばしば「もしも」を考えてしまう。もしもあの時、あの道を選んでいたら……。もしもあの時、あの場所に行かなかったなら……。
その「もしも」を誰もが強く感じてしまうのが、プロ野球のドラフト会議ではないだろうか。
特に複数球団からの指名が集中した場合には、その選手の運命は抽選に委ねられる(まれに選手側からの入団拒否というケースもあるが)。
今年のドラフトでも、佐藤輝明選手(近畿大)と早川隆久投手(早稲田大)に4球団の指名が集まり、抽選の結果、佐藤選手は阪神、早川投手は楽天が交渉権を獲得した。
複数球団が指名するというのは、それだけ活躍が期待されている選手であるという証左でもあるし、競合球団が多ければ多いほど、もちろん当たりクジを引ける確率は低くなる。
そうしたことを考える時、いつも思い浮かべることがある。
「もしあの時、近鉄以外の球団が野茂英雄のクジを引き当てていたなら、どうなっていたのだろう」と。
1989年のドラフト会議では、パ・リーグ最下位のロッテから始まった1位選手の指名が、ヤクルトにいたるまでの6球団連続で野茂に集中した。結果、12球団のうち3分の2にあたる8球団が野茂を指名したのである。この8球団指名というのは、現在に至るまで野茂と、翌1990年ドラフトの小池秀郎の2人しかいない。
野茂は速球とフォークボールを武器に新日鉄堺のエースとして活躍し、1988年のソウルオリンピックでは日本代表として銀メダル獲得に貢献した。即戦力として活躍することを誰もが疑わなかったがゆえの、8球団競合であった。