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防御反応としての「うつ」──「心の強制終了」が生存に役立つ理由とは?

ランク理論

それでは、うつ状態は、いったいどのような状況における防御反応なのでしょうか? この疑問に答えるのがランク理論です(注11)。ここでのランクとは群れの中での順位など社会的地位のことを意味します。ランク理論では、うつ状態は社会的地位(ランク)を失ったもののそれを奪い返す可能性がない場合に生じる防御反応であると考えます。

高い社会的地位をめぐって闘争する個体についての研究から、ランク理論を支持する結果が得られています。精神疾患に関する実験では、ヒトを対象にすることが倫理的に難しいため、サルを用いることがよくあります。オナガザルの一種であるベルベットモンキーを用いた実験により、群れの中での順位の高い個体ほど精神状態が安定している(セロトニン濃度が高い)ことを示唆する結果が1987年に報告されています(注12)。セロトニンは精神安定作用のある神経伝達物質で、うつ状態は脳内のセロトニン濃度の減少によって発症するという説があります。

調査の結果、群れの中で順位の高いオスはセロトニン濃度が高く、順位の低いオスはセロトニン濃度が低いことが分かりました。このことは、順位の高い個体ほど精神状態が安定していることを示唆します。実際、高い地位から失脚してしまったオスは、セロトニン濃度が急激に低下することが確認されました。失脚してセロトニン濃度が低くなったオスは、身体を縮めて揺らしたり、食事をしなくなります。この状態はうつ病になったヒトと共通です(『シン・エヴァンゲリオン』のなかでうつ状態となったシンジもそうでした)。また、人為的にセロトニン濃度を高める薬を与えられたオスは群れの中での地位が高くなり、逆にセロトニン濃度を低くする薬を与えられたオスは地位が低くなることも実験により確認されました。セロトニン濃度が群れの中の順位というオスの社会的地位と深く関係していたのです。

常に闘争の勝者になれればよいのですが、現実はそうとは限りません。エヴァンゲリオン初号機に乗り込むシンジのように「逃げちゃ駄目だ」と自分に言い聞かせて闘争を続けるのは、あくまでも勝ち目のある場合に限定すべきです。自身が敗者となったとき、勝ち目のない相手に対して闘争心(闘争する意欲)を失うことなく戦い続けてしまうと、自身が死んでしまう、あるいは怪我をして、その後の繁殖にマイナスの影響が生じる可能性が小さくありません。それならば、いっそのこと闘争は取りやめて低い地位を甘んじて受け入れたほうが、自身の生存や今後の繁殖の可能性を維持するうえでは、まだしもましな選択となります。敗者自身の意欲を失わせ、闘争をいわば強制終了させることが、防御反応としてのうつ状態の役割というわけです。実際、うつ状態は本人の意思や希望に関わらず、行動を強制的に変えてしまう効果があります。やる気の喪失、睡眠障害、食欲不振などの症状が発症することで敗者は身体を思い通りに動かすことができなくなり、闘争を続けることが不可能になります。

うつ状態が一種の防御反応であるという考えに基づいて、新たな仮説が生み出されます。敗者が自身の敗北を素直に認めて受け入れた場合にはうつ状態は消えるという仮説です。なぜなら、すでに闘争する意欲をなくし、大きな被害を受ける危険のない敗者にとっては、うつ状態になる利点が存在しないためです。ランク理論の研究者による症例研究で、この仮説を示唆する結果が得られています。

ヒトは他者の表情変化に敏感です。うつ状態になった人は、特徴的な落ち込んだ表情となり、元気のないことが周囲に分かりやすくなります。本人は意識してないものの、表情が戦う意欲のないことを周囲に伝えるシグナルとして機能し、勝者からの攻撃を未然に防ぐ効果を生み出します。

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小松正

こまつ・ただし
1967年北海道生まれ。北海道大学大学院農学研究科農業生物学専攻博士後期課程修了。博士(農学)。日本学術振興会特別研究員、言語交流研究所主任研究員を経て、2004 年に小松研究事務所を開設。大学や企業等と個人契約を結んで研究に従事する独立系研究者(個人事業主) として活動。専門は生態学、進化生物学、データサイエンス。
著書に『いじめは生存戦略だった!? ~進化生物学で読み解く生き物たちの不可解な行動の原理』『情報社会のソーシャルデザイン 情報社会学概論II』『社会はヒトの感情で進化する』などがある。

Twitter @Tadashi_Komatsu

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