2022.9.19
マウンテンバイク、音楽、カフェ……趣味を束ねて、楽しく生きていく達人とは?

40代後半で、初めてマウンテンバイクに乗ってみた
都内では35度に迫る初夏とはいえ、標高1500m前後の信州の林道はヒンヤリと涼しい。
綺麗に切り開かれるのとは対象的に、木の根や石、エグレなどで凸凹が続く林道の先は、急な下り坂になっておりよく見えない。体に感じるヒンヤリとした感覚は、これからこの下り坂を、生まれてはじめて乗るマウンテンバイクで駆け下りなければならないからでした。
2021年の7月上旬、コロナ禍から逃れるように、私は信州のキャンプ場を訪れていました。目的は、国営アルプスあずみの公園マウンテンバイクパークでマウンテンバイクに初挑戦することでした。
私をマウンテンバイクに誘ってくれたのは、共同研究者であり大学院以来の友人である、神戸大学の松嶋先生です。出会った頃から彼は、24時間体制で研究体制にあり、一緒にいる時の会話の8割は研究関連というワーカホリックというかリサーチホリックでした。釣りや漫画に熱中する私に、「なんで、そんなに生産性の無いことに熱中しているんだ」と彼は時々小言を言うのが常でした。
「凄いカッコいい人いるんだけど、会ってみない?」
そんな彼が、ニュージーランドでの2年間の在外研究を経て、帰国してからすっかり変わってしまいました。
マウンテンバイク(MTB)に惚れ込んでしまい、家族全員(奥様+子供2人)でMTBを揃えるどころかキャンピングカーも購入し、週末には子どもたちと林道を走り、キャンプを楽しんでいます。もちろん、自宅から神戸大学にも、六甲山脈の林道を飛ぶように走って出勤です。話の内容も、キャンプと自転車の話が8割を占めるようになりました。
「同年代に、こんな人がいるのかってびっくりしたよ」
おっかなびっくりで林道を駆け下りた先の休憩所で待ってくれていた松嶋先生は、私より遥かに速いスピードで駆け下りている長男を頼もしげに眺めながら、その人が今、私が取り組もうとしているライフスタイル企業家=そこそこ起業のイメージにぴったりだと力説してくれました。趣味に全く興味を持っていなかった松嶋先生を、ここまで変える原因になったマウンテンバイクとは、そして、現代経営学のフロントラインを走る彼が「カッコいい」と憧れる人はどんな人なのだろうか。これは会って話を聴いてみなければと思いつつ一年が過ぎ、先日、ようやくお会いすることが出来ました。
マウンテンバイクとの出会い
冨田功さんは、神戸市内でマウンテンバイクのプロショップであるSPARKを経営されています。
「どうぞ、よくお越しいただきました」
約束した時間に松嶋先生とお店に伺うと、開店準備をしていた冨田さんに早速、店内に招いていただけました。ひょろりとした体形なのですが、精悍に日焼けした肌に、ハーフパンツの裾から覗くふくらはぎが、ゴリッと盛り上がっています。
店に入ると同時に、美味しそうなバターの香りが充満しています。店内にはカフェも併設されていて、奥様が毎日焼くスコーンは、洋菓子に厳しい神戸の人達にも「おいしい」と評判なのです。
大学卒業後、冨田さんはバイク(自動二輪)のワークスチームでメカニックを務めていました。後に、日本一になるチームのメカニックです。同年代だからこそ分かりますが、1980年代に空前のバイクブームがあり、現在のアラフィフの男性は、思春期の頃には一度はバイクに憧れたものです。冨田さんはその憧れを、まさに仕事として実現するという、当時の男の子にとって夢のキャリアを歩んでいました。
「オートバイが好きだったんで自分もサーキットを走っていたんですけども、自分はそんなに速くないんでメカニックに転向したんですね。ワークスの予備軍のチームに入って。自分がメカニックをやっていたライダーがめちゃくちゃ速くなって、一緒にワークスに入ったんですよ。その時90年代中盤くらいかな。アメリカのマウンテンバイクのビデオを見て。カミカゼ・ダウンヒルと言われていた、ひたすら崖の上から最高速を目指すみたいな競技があって。めちゃくちゃ惹かれて、そこから始めたの。日本でもレースが盛んにあって。週末はライダーとかもみんな巻き込んで。みんな、ああいうのが好きなので(笑)」
そんな冨田さんが自転車に興味を持ったのが、マウンテンバイクで崖を下るダウンヒル競技を映像で見て衝撃を受けたことでした。当時既に大会が開催されていることがわかり、ワークスチームのスタッフと一緒に大会に参加するまでになりました。