よみタイ

ブンゴウ泣きたい夜しかない。~文豪たちのなんだかおかしい人生劇場

【文豪と居酒屋】本業は詩人? それとも居酒屋店主? 酒と食をこよなく愛し、不埒な客は殴り飛ばす文壇屈指のファイター・草野心平

居酒屋からバーへ……仲間と囲むうまい酒とうまい料理

「火の車」は4年ほどで閉店することになりますが、心平は次に新宿御苑近くにバーを開店します。店名は「学校」としました。バー「学校」のオープンの日は1960年、日米安保条約が改定された日でした。この日、心平は安保反対のデモに参加し、学生や運動家たちが安保反対のビラを撒く中に混じってバー「学校」オープンのビラを配って回ります。この年、心平は57歳でしたが元気過ぎやしませんか。ビラには「安保反対、本日開店」と書かれていました。なんとも斬新な宣伝方法です。

この「学校」も文士たちで大いに盛り上がりますが、心平がお客以上に酒を飲んでしまいほとんど儲かりませんでした。やがて長年の暴飲暴食がたたり体を壊した心平は店にもあまり出なくなり、29年続いたこのバーも立ち退きにより畳むことになります。心平が亡くなった1988年11月の翌月、バーも閉店しました。

74歳の草野心平(小林正昭撮影)(写真提供/草野心平記念文学館)
74歳の草野心平(小林正昭撮影)(写真提供/草野心平記念文学館)

生前、心平が長野の蓼科の山の中で山ウドを採って調理した時のことが随筆「蓼科の山ウド」に書かれています。採取した立派な山ウドを持ち帰り、その葉を刻んで豆腐の味噌汁にふりかけると、野性味溢れる強烈な香りが立ち昇る。その美味さに感動した心平は「瞬間私は、都の食いしんぼうの仲間のことを思いだし、やいどうだいと独り言を言いたくなったり、食べさしたいなあとも思ったりした」といいます。

心平は居酒屋やバーの経営は生活の為家族の為といいますが、本当のところは仲間とうまい酒を呑み、うまい料理を振る舞うことに至上の喜びを感じていたのでしょう。

(※本コンテンツ内の文章・画像については無断転載・複写・引用を固く禁じます)

1 2 3

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Twitterアカウント
  • よみタイ公式Facebookアカウント

関連記事

新刊紹介

よみタイ新着記事

新着をもっと見る

進士素丸

しんじ・すまる●1976年2月生まれ。ライター・文筆家。「文豪どうかしてる逸話集」(KADOKAWA)著者。文豪や歴史にまつわるツイートも話題に。
雑誌・ウェブ媒体などに寄稿しつつ、映像制作やデザインなども手掛ける。

Twitter●@shinjisumaru

週間ランキング 今読まれているホットな記事