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意識に意識されることで変わり続ける、意識の「不定性」とは? 量子科学技術研究開発機構・山田真希子インタビュー

「私が思い浮かべる『赤色』と、あなたの頭の中の『赤色』は、本当に同じ色?」
こんな問いを考えたことがある人は多いかもしれません。
そういった「赤い感じ」や「コーヒーの香りのあの感じ」等は、〈クオリア〉と呼ばれています。

重要なテーマであっても、これまで科学的にアプローチしにくかった〈クオリア〉。
そこにいま、様々な分野の最先端の研究者たちによる、新たな研究が進んでいます。
〈クオリア〉を探求する多様な研究者に話を聞く、インタビュー連載です。

「意識とは、意識自身を見ている意識である」。意識をめぐる議論では、このような言い方を耳にすることがある。この特徴は、しばしば「再帰性」とも呼ばれるが、その扱い方はいまも簡単ではない。この難題に対して、量子力学のモデルを“アナロジー”(概念的な枠組み)として持ち込むことで、新しい光を当てようとしているのが、量子科学技術研究開発機構(QST)の山田真希子さんだ。

(聞き手・構成・文責:佐藤喬、特別協力:藤原真奈)

山田真希子(やまだ・まきこ)■QSTチームリーダー/グループリーダー、東北大学大学院医学研究科客員教授、千葉大学量子生命構造創薬センター連携教授を務める。専門は認知神経科学・量子認知科学。
山田真希子(やまだ・まきこ)■QSTチームリーダー/グループリーダー、東北大学大学院医学研究科客員教授、千葉大学量子生命構造創薬センター連携教授を務める。専門は認知神経科学・量子認知科学。

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鏡の中の水は実在するのか?

小学校一年生くらいの頃だったと思いますが、私には「鏡の中の世界」がとても不思議に思えていました。洗面台の前で、コップに水を入れて歯を磨いていると、鏡の中にも同じようにコップを持ったもう一人の私がいます。彼女のコップにも、水が入っているように見えます。

ところが、正面から鏡を見るだけでは、水面ははっきりとは映りません。そこで私は、手元のコップを少し傾けて、鏡の中の“私”が持つコップの中を覗き込むようにしました。そうすると、水が見えます。けれど、コップを傾けなければ見えません。

このときからずっと気になっていたのが、「見えていないあいだ、その水は存在しているの?」という問いでした。小学校を卒業するまでのあいだに、何人もの先生に質問してみたのですが、どうも私が知りたかったポイントそのものを理解してくれた人はいませんでした。

何十年も経って研究者になってから、私は有名なフレーズに出会いました。「見ていない時に、月は本当に存在しているのか?」という、アインシュタインにまつわる言葉です。このフレーズは、量子力学の標準的な解釈──観測されるまで状態が定まっていない、という考え方──に対して、アインシュタインが「世界は本来、観測とは無関係に実在しているはずだ」という直感を表現したものとしてよく紹介されます。子供の頃の素朴な疑問が、量子力学の世界で議論されている「観測と存在の関係」というテーマと、どこかつながっているように感じました。そのこともあって、次第に量子認知の研究に引き込まれていきました。

量子力学を認知のアナロジーにする

私の専門の一つは「量子認知」です。これは、量子力学そのものを脳に当てはめるのではなく、「量子力学の考え方や数学的な枠組みをアナロジーとして借りてきて、人間の認知や意思決定を記述し直そうとする」試みです。

少し意外に感じられるかもしれませんが、行動経済学が明らかにしてきた意思決定の非合理さや、さまざまな認知バイアスについては、その存在はよく知られている一方で、「なぜそのようなふるまいが生じるのか」という仕組みは、必ずしも十分に説明されてきませんでした。ところが、量子力学で用いられている「状態の重ね合わせ」の考えや、シュレーディンガー方程式といった数理的な枠組みを応用すると、そうした人間の判断の一部を、自然なかたちで記述できることがわかってきています。

ここで誤解のないように強調しておきたいのは、量子認知は、「脳の中で量子的な現象が実際に起きている」と仮定する立場ではない、ということです。脳内での量子的現象を扱う「量子脳理論」と呼ばれる分野もありますが、量子認知はそれとは別の流れにあります。あくまで、量子力学で発達した数理モデルを、人間の認知に当てはめてみると都合が良かったという程度の意味合いだと捉えていただければ、近いと思います。

多くの読者には突飛に聞こえると思いますので、具体例をひとつ挙げてみましょう。古典的意思決定論でよく知られている原理に、1954年に提唱された「当然原理」(Sure-thing principle)があります。

この原理は、次のような状況を考えます。ある個人が、
①世界がXならば、BよりもAを好む
②世界がXでないならば、BよりもAを好む

という前提を持っているならば、
③その個人は、世界の状態が不明の場合も、BよりもAを好むはずだ

と推論できる、というものです。たしかに、直感的には「当然だ」と感じられる原理です。

ところが1992年、この当然原理が破れてしまうケースが報告されました(Shafir&Tversky,1992)。多くの実験参加者を対象に、行動経済学などでおなじみの「囚人のジレンマ」というゲームを行ったところ、特定の条件下では、人々が当然原理に反する意思決定をすることがわかったのです。

これは、古典的意思決定論ではうまく説明がつかない現象として、長く問題視されてきました。そこに2009年、Pothos & Busemeyerが、量子確率論の枠組みを用いたモデルを提示します(Pothos&Busemeyer,2009)。そのモデルは、この「当然原理の破れ」を含む実験データにとてもよく適合し、大きな注目を集めました。

ここでお伝えしたいのは、量子力学をアナロジーとして人間の認知に応用する方法が、すでにいくつかの難問に対して、具体的な説明力を示し始めているということです。

心でも、自己省察することが対象を変えていく

本題である意識の話に入る前に、もう一つだけ関連する研究を紹介しておきたいと思います。

原子や電子といったミクロな世界を扱う量子力学では、古典力学とは異なり「どう観測するかによって、観測される対象の振る舞い自体が変わってしまう」という不思議な現象が起こります。

たとえば「量子ゼノン効果」と呼ばれる現象があります。

量子状態は本来、時間とともに別の状態へと「揺れ動いて」いきますが、途中で観測をすると、その瞬間にどれか一つの状態へと「収縮(決め打ち)」されます。さらに、同じ種類の観測をとても頻繁にくり返すと、そのたびに同じ状態へ収縮し直されるため、結果としてほとんど変化しなくなってしまう。これが量子ゼノン効果と呼ばれる現象です。ちなみに「ゼノン」とは、「飛んでいる矢は移動しているように見えるが、各瞬間を切り取ると止まっている。したがって矢は止まっている」という、有名な「ゼノンのパラドクス」から来ています。

私は、この現象もまたアナロジーとして認知に応用できるのではないかと考え、信念の訂正に関する量子ゼノン効果の数理モデル研究に取り組んでいます。

うつ病の方がしばしば「ルミネーション(反芻思考)」と呼ばれる状態に陥ることをご存じでしょうか。これは、ネガティブな考えが頭の中で繰り返され、そこから抜け出しにくくなってしまう現象です。

量子ゼノンの比喩を借りるなら、ヒトの心も、「自分で自分の考えを繰り返し確認し、言語化する」という行為によって、本来なら変わっていけたかもしれない考えを、しばらく同じ状態にとどめてしまうのではないかと私は考えています。先行研究を含め、量子ゼノン効果の枠組みを認知に応用することで、こうした現象の一側面を「自己観察によって、心の状態が特定のパターンに収縮し続けてしまう過程」として数理的に説明できそうだ、というきざしが見え始めています。

もう少し平たく言うと、メタ認知(自分の心を振り返ること)によって、その人の認知そのものが影響を受けてしまうということです。

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新刊紹介

佐藤喬

作家・フリーの編集者。著書に『エスケープ』(辰巳出版)、『1982』(宝島社)、『逃げ』(小学館)など。構成作は『動物たちは何をしゃべっているのか?』(山極壽一/鈴木俊貴、集英社)、『AIに意識は生まれるか』(金井良太、イースト・プレス)ほか。

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