よみタイ

せきしろ「東京落物百景」
落とし物の数だけ、物語がある――落とされたモノにも、そして落とした人にも。
『去年ルノアールで』『たとえる技術』などの著作で知られる作家せきしろが、東京の街の片隅で、本当に見つけたさまざまな落とし物について考える妄想ノンフィクション。

前回はコロナ禍で日常のマストアイテムとなったマスクの落とし物を発見した著者。

今回は、比較的よく見る落とし物のひとつ、ハケを発見。そこから幻想的な世界を想像したようで――

ハケの落とし物を見ると思い出すオー・ヘンリーの『最後の一葉』

トリックアートを描いた後のハケかもしれない

都内で発見したハケの落とし物。何を描くのに使われたのだろう。(写真/ダーシマ)
都内で発見したハケの落とし物。何を描くのに使われたのだろう。(写真/ダーシマ)

ハケが落ちている。

道に落ちているものとしてハケはとりわけ珍しいものではない。野外でハケを使う仕事をした人が落としていった(忘れていった)としても不思議ではないからだ。
しかしそんなハケもある効果を生み出す。今見ている風景がこのハケによって描かれたものであるような錯覚をさせてくれるのだ。トリックアートのようなものである。
特に写真として切り取られると、さらに強い錯覚を起こす。まるで寂れた観光地を車で走っていると突如現れる『トリックアート館』的なところに飾られている作品に見えてくる。
さらに見続けているとオー・ヘンリーの短編小説『最後の一葉』を思い出す。この作品を私は教科書で読んだ記憶がある。最近の教科書に掲載されているのかわからないが、なんとなくあらすじは知っているのではないだろうか。

画家志望の若い女性が肺炎で入院し、窓の外に見えるツタの葉を見て「あのツタの最後の一枚が落ちたら私は死ぬ」と言う。その夜激しい嵐になり、ツタの葉はすべて落ちてしまったと思われたが、女性が見るとツタの葉は残り一枚になっている。また嵐になるが、それでも最後の一枚は残っている。それを見た若い女性は自分の考えを改めて生きる気力を取り戻す。
しかしその葉は若い女性のことを聞いた年老いた画家が壁に書いたものであり、嵐の中葉を描き続けた老人は肺炎で死んでしまったのだ……。

もしかしたらこの歩道に敷き並べられたレンガの隙間から生えている草はこのハケによって描かれたものなのかもしれない。入院中の人が「あの歩道に敷き並べたレンガの隙間から生えている草が無くなったら私は死ぬ」と言い出し、草が枯れてしまった、あるいは抜かれてしまったために年老いた画家が慌てて描いた、そんな想像ができる。

草だけではない。入院中の人が「あのガードレールが無くなったら私は死ぬ」と言い出して、年老いた画家が「まあガードレールならそう簡単になくならないだろう」と思っていたのに、その夜、道路の拡張工事が始まって撤去されたために慌てて描いたものかもしれない。

この写真には写っていないが道路の向こう側に中華料理店があって、そこの扉に『冷やし中華始めました』と書かれた貼り紙があり、入院中の人が「あの『冷やし中華始めました』の貼り紙がなくなったら死ぬ」と言い出して、年老いた画家が「夏が終わった頃に剥がされるだろうから、まあまだ大丈夫かな。でも早めに行動しておいた方がいいな」と描いたものかもしれない。私の目に映る探偵事務所のポスターも、ピースボートのポスターも、『カードでお金』と書かれた看板も、実は絵かもしれない。

などと考えているうちに「このハケ自体が絵では?」と思い始め、収拾がつかなくなった。

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Twitterアカウント
  • よみタイ公式Facebookアカウント

関連記事

よみタイ新着記事

新着をもっと見る

せきしろ

せきしろ●1970年北海道生まれ。主な著書に、映像化された『去年ルノアールで』や、映画化された『海辺の週刊大衆』、『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』(共に双葉社)など。また、又吉直樹氏との共著『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(幻冬舎)、西加奈子氏との共著『ダイオウイカは知らないでしょう』(マガジンハウス)も。
ツイッターhttps://twitter.com/sekishiro

週間ランキング 今読まれているホットな記事