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せきしろ「東京落物百景」
落とし物の数だけ、物語がある――。落とされたモノにも、そして落とした人にも。
『去年ルノアールで』『たとえる技術』などの著作で知られる作家せきしろが、東京の街の片隅で、本当に見つけたさまざまな落とし物について考える妄想ノンフィクション。

前回は、忘年会に使える、かもしれないトングの落とし物を発見した著者。今回は、落とし物というより、ただ倒れているだけ?とも思わせる伏せられたスタンド看板を発見したようで――

スタンド看板の落とし物に書かれていて、いちばん嫌なもの、なーんだ!?

都内の路上にて発見した倒れたスタンド看板。これは落ちているのか、ただ倒れているのか……。(写真/ダーシマ)
都内の路上にて発見した倒れたスタンド看板。これは落ちているのか、ただ倒れているのか……。(写真/ダーシマ)

落ちている看板の表面には、何が書かれているのだろうか?

道にスタンド看板があった。よく店頭に置いてあるものだ。

これは落ちている、というより、倒れていると言った方が適当か。しかし、周りが殺風景で落ちているようにも感じられる。

こういう状況に遭遇した場合、私はいつも考えることがある。それはこの看板を直すか、それとも直さないか、だ。

できることなら直す方を選択したい。しかし直しているところを店員に見られた場合、私が倒してしまって直していると思われる可能性がある。感謝されるためにやるわけではないとしても、できるなら「直してくれてありがとうございます」と思われたいところなのに、これでは「ちゃんと元通りに直してくださいよ」と思われることになる。看板のどこかが破損なんかしていたら嫌な顔をされるどころか、「弁償してください」だってありえる。「いえ、私が倒したのではないんですよ」と証明することは難しく、ビデオ判定しか手はない。

それならば直さずに素通りする方が良いのではないかと考える。しかしそれを通行人に見られて「あの人、知らないふりして直さずに行ったよ。なんとも世知辛い世の中になったものだ」なんてこと言われたら、それはそれで嫌だ。私が素通りした後に別の人が直し、その人が称賛されることもあるだろう。「それに比べて……」とまた私に矛先が向くこともあり得る。

ならばやはり私が直そうと思うも、店員に倒したと思われる可能性は消えていないから躊躇してしまう。また店員に「ちょっとちょっと! わざと倒してあるんだから余計なことしないで」と言われることだってなくはないだろう。もはやどうすれば良いかわからない。

こういった看板にはお店の情報が書かれていたり、「今日はなんの日?」みたいな情報が書かれていたりする。

近所に日替わりでちょっとした雑学が書かれている看板があった。私は駅に行く途中いつも見ていたのだが、あまり人通りがないところだったので、もしかして私しか見てないのではないかと不安になった。それなのに毎日毎日律儀に更新されている。なぜか自分が応援しなければいけない気持ちになって、なるべく立ち止まって興味があるように看板を見るようになった。時には写真を撮るふりをしたこともあった。

やがて私は引っ越したので、その看板がまだ毎日更新されているのかどうかはわからない。

目の前の倒れている看板には何が書かれているのだろうか。今日は何の日なのか書かれているのだろうか。それとも普通に新メニューの情報が書かれているのだろうか。店長が好きな名言が書かれているかもしれない。

逆に何が書かれていたら嫌だろうと考えてみた。結果、「助けて」と書かれているのが最も嫌だという結論に至って、私はまた歩き始めた。

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せきしろ

せきしろ●1970年北海道生まれ。主な著書に、映像化された『去年ルノアールで』や、映画化された『海辺の週刊大衆』、『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』(共に双葉社)など。また、又吉直樹氏との共著『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(幻冬舎)、西加奈子氏との共著『ダイオウイカは知らないでしょう』(マガジンハウス)も。
ツイッターhttps://twitter.com/sekishiro

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