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せきしろ「東京落物百景」
落とし物の数だけ、物語がある――。落とされたモノにも、そして落とした人にも。
『去年ルノアールで』『たとえる技術』などの著作で知られる作家せきしろが、東京の街の片隅で、本当に見つけたさまざまな落とし物について考える妄想ノンフィクション。
前回は、片方だけ落ちていたスリッパから、大浴場で自分のものをどうすれば絶対に判別できるのか、その方法を考え抜いた著者。今回は、たくさんのメモを発見したようで――

無自覚な路上詩人たちが落としたメモ書きは、発見者に緊張感を与える作品である!

都内の路上にて発見したメモの落とし物、その1。清さん、このままじゃ無断欠勤になっちゃいますよ!(写真/ダーシマ)
都内の路上にて発見したメモの落とし物、その1。清さん、このままじゃ無断欠勤になっちゃいますよ!(写真/ダーシマ)

清さんは無断欠勤になったのか? 高橋さんはごみをちゃんと捨てられたのだろうか?

今から25年くらい前、私が上京してきて都会というものが当たり前になってきた頃、路上詩人が流行った。もしかしたらその前から存在していて私が知らなかっただけだったのかもしれないが、街でたくさん見かけるようになって、メディアでも取り上げられるようになったのはその頃だったと記憶している。『インスピレーションで言葉を書く』という即興性を売りにしたタイプが主流で、私の知り合いにも突如「路上詩人になる」と言って、それきり疎遠になった人がいる。

路上詩人は表現者であり、パワフルで行動的である。それに対して無自覚な路上詩人というものがある。文字を落とした人、正確には文字が書かれたものを落とした人たちだ。

無自覚な路上詩人たちは詩や格言を書く気などさらさらない。無意識に言葉を路上に置いていくだけなのだ。その多くは落とし主にしかわからぬ言葉である。ただどんな作品よりも私の足を止めさせ、私の想像を膨らませ、私を虜にするのだ。

たとえば『本日お休みさせて頂きます』と書かれたメモは様々なことを考えさせてくれる。

メモで仕事を休むことができるのかと考える。メールならまだしも、メモだ。もしかしたら休むことがなかなか言い出せず最終的にメモという手段しかなかったのでないかとも考える。切羽詰まった感もある。

そもそもなぜ休むことになったのか、そこには私にはわからない事情がありそうだ。『本日お休みさせて頂きます』という一文からは強い意志を感じるし、相手の返答を待つ気などさらさらない、一方的なコミュニケーションだ。それが良いのか悪いのかは当事者でない私にはわからない。

それより「メモがここに落ちているということは相手に何も伝わっていないのではないだろうか?」と心配になってしまう。ということは、清さんはただの無断欠勤になってしまったのはないだろうか。つまりは清さんの決意は伝わらないままなのだ。私は清さんのことを何も知らないが、きっとこういったことが数多くあった気がする。

まさに清さんの人生が凝縮された一文だ。力強い作品である。「清」が「みつを」のような署名にすら見えてくる。部屋に飾っても良いかなとすら思えてくる。

メモの落とし物、その2。ごみはいままだ残っているのではないのだろうか?(写真/ダーシマ)
メモの落とし物、その2。ごみはいままだ残っているのではないのだろうか?(写真/ダーシマ)

また、『高橋様ごみよろしくお願いします』も、きっと置き手紙だったのだろうがここに落ちているということは高橋さんに伝わっていないのではないだろうかと考えてしまう。ということは、高橋さんはごみに関するなんらかの対処をしていないと考えられる。そうなると落とし主と高橋さんの間には行き違いがあることになり、こっちが心配してしまう。争いが起きていないことを願うばかりだ。まさかこんな緊張感を生む作品に出合えるとは。

メモの落とし物、その3、その4。「クックパッド」にこのメモの食材を入れたら、何を作ろうとしたかがわかるかも?(写真/ダーシマ)
メモの落とし物、その3、その4。「クックパッド」にこのメモの食材を入れたら、何を作ろうとしたかがわかるかも?(写真/ダーシマ)

無自覚な路上詩人の作品でもっとも多いのは買い物メモである。そこから作者が何をしようとしていたのか、何を作ろうとしていたのか、何を食べようとしていたのか、それらがおぼろげに見えてくるものの、明確な答えはわからない。ただ、買い物メモを落としたことに気づいた時に一瞬途方に暮れたことはわかる。絶対に買い忘れが生じたに違いない。

こうして私は今日も散らばった言葉との出合いを求めて歩くのだ。

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せきしろ

せきしろ●1970年北海道生まれ。主な著書に、映像化された『去年ルノアールで』や、映画化された『海辺の週刊大衆』、『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』(共に双葉社)など。また、又吉直樹氏との共著『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(幻冬舎)、西加奈子氏との共著『ダイオウイカは知らないでしょう』(マガジンハウス)も。
ツイッターhttps://twitter.com/sekishiro

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