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せきしろ「東京落物百景」
落とし物の数だけ、物語がある――。落とされたモノにも、そして落とした人にも。
『去年ルノアールで』『たとえる技術』などの著作で知られる作家せきしろが、東京の街の片隅で、本当に見つけたさまざまな落とし物について考える妄想ノンフィクション。
前回は、サングラスの落とし物から、鈴木雅之がマラソンに出たら?という妄想を繰り広げた著者。今回は、一見何の変哲もないスリッパを発見したようで――

大浴場のスリッパ、自分のものを絶対に判別できる方法はあるのか?

恵比寿の路上にて発見したスリッパ。近くにホテルや旅館はないのだが……。(写真/ダーシマ)
恵比寿の路上にて発見したスリッパ。近くにホテルや旅館はないのだが……。(写真/ダーシマ)

離れたところに置く? 裏返しにして置く? 重ねて置く? どうすれば自分のスリッパを判別できるのだろう。

ホテルや旅館の大浴場に行き、サッパリとリフレッシュして出てくる。何か飲むかそれともゲームコーナーに行くか、あるいはお土産屋さんか、などと考えながら出入口へと向かうと、自分が履いてきたスリッパがどれなのかわからなくなっていることがある。

その事態を避けるために、たとえば少し離れたわかりやすいところに置くようにするのだが、他人のスリッパでもまったく構わない人もいて、そのスリッパを履いていかれてしまうこともある。また、せっかく他のスリッパと離して置いたというのに、入浴中に宿の人が綺麗に並べ直している時があって自分のスリッパがわからなくなることもある。

裏返しにして差別化しておく手もあるが、これもただの脱ぎ方が雑な人に思われて直されてしまうことが多い。私のようにスリッパで悩んでいる人に「ああいう方法があるのか!」と真似されてしまうと裏返しのスリッパが増えてしまうことになり、またわからなくなる可能性もあり、そもそも見栄えが悪いのが気になる。

時折重ねて置いて差別化してあるスリッパを見るが、片方のスリッパの底がもう片方の表側と接するわけだから、気にならないといえば嘘になる。スリッパに書かれている旅館の名前のかすれ具合で覚えようとしたこともあったが、お風呂でリラックスすると忘れてしまうのが常だ。

最近は自分のスリッパに目印をつけられるようにクリップがあったり、ビニールの袋が置かれていてそれに入れることができるようになっているものの、それでもなくなる時はなくなるのだ。

こうなると他人のスリッパを履くのか、それとも何も履かずに部屋に帰るのかの二択になる。後者の方が断然非衛生的であるが、前者もなかなか勇気がいるものだ。できるだけ足の裏とスリッパの接触面を少なくしながら歩くしかなく、飲み物やゲームコーナーやお土産どころではなくなる。

もしも一回だけ魔法が使えるとしたなら、この時ばかりは新しいスリッパを取り寄せることに使うだろう。魔法をそんなことに使うなんてもったいないと思われるだろうが、それくらい私にとってスリッパ問題は深刻なのだ。あるいは「誰のスリッパでも気にしないようになあれ!」と自分を変えることに魔法を使うのもひとつの手であろうが、そうすると第二、第三の自分を生み出すことになるので却下だ。

なぜこのようなことを考えているかというと、スリッパが片方だけ落ちていたからである。この手のスリッパは屋内で使うものであるから、路上で見ることは珍しい。ここから先が土足禁止ということはないし、このあたりに大浴場があるわけでもない。いつまで経っても理由はわからない。落とし物とは概してそういうもので、見つけた者に手掛かりすら与えてくれないものなのだ。

もしも今魔法が使えるなら、このスリッパはなぜここに落ちているのか、それを知ることに使ってしまいそうだ。

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せきしろ

せきしろ●1970年北海道生まれ。主な著書に、映像化された『去年ルノアールで』や、映画化された『海辺の週刊大衆』、『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』(共に双葉社)など。また、又吉直樹氏との共著『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(幻冬舎)、西加奈子氏との共著『ダイオウイカは知らないでしょう』(マガジンハウス)も。
ツイッターhttps://twitter.com/sekishiro

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