よみタイ

せきしろ「東京落物百景」
落とし物の数だけ、物語がある――。落とされたモノにも、そして落とした人にも。
『去年ルノアールで』『たとえる技術』などの著作で知られる作家せきしろが、東京の街の片隅で、本当に見つけたさまざまな落とし物について考える妄想ノンフィクション。
前回は、キティちゃんが身長計測につかったかもしれないリンゴの落とし物でしたが、今回は間違いなく落とし主がわかっている落とし物だったようで……。

ラッキィ池田氏は何をしていて象のジョウロを落としたのだろう⁉️

渋谷区広尾の路上にて発見。この落とし主はもちろんあの人しかいない……。(写真/ダーシマ)
渋谷区広尾の路上にて発見。この落とし主はもちろんあの人しかいない……。(写真/ダーシマ)

雨の日に落としたのなら、挨拶で相手を怒らせないためかもしれない

象のジョウロが落ちている。

落とし物は誰のものなのかわからないのが常であるが、これなら話は別だ。
象のジョウロと言えばラッキィ池田氏だ。彼はいつも頭の上に象のジョウロを乗せている。つまり落とし主はラッキィ池田氏以外考えられない。

ではなぜラッキィ池田氏のジョウロがここにあるのか。気になるのはその一点となる。

ラッキィ池田氏は振付師である。そこでダンスを踊った際に落としたのではないかという仮説が浮かび上がる。この近くに大きなガラスがあれば、それを鏡代わりにしてダンスの練習をした可能性が高い。ついつい熱中してしまい、動きは本番さながら激しくなり、その時落としたと考えられる。

次に考えられるのは、目上の人に出会ったからという理由だ。挨拶する時に帽子を取るように、ラッキィ池田氏なら頭のジョウロを外したのではないだろうか。いや、目上の人ではなくてもジョウロを外しただろう。

なぜならこの日は雨が降っていた。つまり雨水が頭上のジョウロに溜まることになる。その状態でお辞儀をするとどうなるだろう。そう、雨水は象の鼻から出て、すべて相手に降り注ぐことになる。びしょ濡れになった相手は激怒することだろう。それを避けるためにジョウロを外すというわけだ。

ジョウロだけがそこにある、という事実からラッキィ池田氏が忽然と消えた可能性も考えられる。事件や事故、あるいはテレポーテーション、もしくは大きな鷹に連れ去られたなど、何らかの理由で消えたのだ。

彼の身に何があったかはわからないが、メッセージとしてジョウロをわざと落として行ったと考えられる。ジョウロに触れ、まだぬくもりが残っていれば、ラッキィ池田氏はまだ近くにいるはずだ。

消えた理由が受動的ではなく、能動的な場合もある。つまり自ら消えたということだ。たとえば透明人間になる薬を飲んだために、ラッキィ池田氏は見えなくなった、とも考えられる。

薬を飲み、やがて効いてくる。自分の手を見ると透けている。服を脱ぐと自分の身体が見えないではないか。「本当に透明人間になった!」とテンションが上がり、「さあ、イタズラするぞ!」と外に飛び出す。しかし街行く人がみな自分の方を見て驚いている。「透明になったはずなのにおかしいな……」と思い、ショウウインドウに自分の姿を映してみる。

するとどうだろう。確かに身体は透明なのだが、頭のジョウロはそのまま。取り外すのを忘れていたのだ。これではジョウロだけがずっと宙に浮いて移動していたことになる。周りの人も驚くはずだ。そこで慌ててジョウロを外して投げ捨てた。それが目の前にある。今頃ラッキィ池田氏は透明人間になったことを謳歌していることだろう。

他にも西遊記に出てくる金角銀角のひょうたんのように「ラッキィ池田氏が返事をしてしまったのでジョウロに吸い込まれた」という理由も考えたのだが、なんだかややこしく、冷えてきたので頭も回らなくなり、私はその場を立ち去ることにした。

春はまだ先のようだ。

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Twitterアカウント
  • よみタイ公式Facebookアカウント

よみタイ新着記事

新着をもっと見る

せきしろ

せきしろ●1970年北海道生まれ。主な著書に、映像化された『去年ルノアールで』や、映画化された『海辺の週刊大衆』、『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』(共に双葉社)など。また、又吉直樹氏との共著『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(幻冬舎)、西加奈子氏との共著『ダイオウイカは知らないでしょう』(マガジンハウス)も。
ツイッターhttps://twitter.com/sekishiro

週間ランキング 今読まれているホットな記事