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せきしろ「東京落物百景」
落とし物の数だけ、物語がある――。落とされたモノにも、そして落とした人にも。
『去年ルノアールで』『たとえる技術』などの著作で知られる作家せきしろが、東京の街の片隅で、本当に見つけたさまざまな落とし物について考える妄想ノンフィクション。
前回は、夜の恵比寿で見つけた「カップ麺の落とし物」とその罠には引っかかりそうになった著者。今回は、年末ジャンボ宝くじの季節にふさわしく、なんと「百万円の落とし物」を発見したそうで。

百万円の落とし物! なのに、伝わってきたのは「怒り」

杉並区阿佐谷北の路上にて、破り捨てられたお札を発見! 一万円!? (写真/ダーシマ)
杉並区阿佐谷北の路上にて、破り捨てられたお札を発見! 一万円!? (写真/ダーシマ)

破って捨てた犯人は、銀行強盗なのか、マジシャンなのか!?

私は年に一度は財布を拾う。それが他の人より多いのか、それとも少ないのかはわからない。拾った財布が当時テレビによく出ていたタレントさんのものだったこともあった。

財布だけではなく、お金を拾うこともよくある。断然硬貨が多いが、紙幣もある。きっと下ばかり見て歩いているからだろう。ちなみにお金を拾う夢もよく見るのだが、夢占い的には良くなさそうな結果が出そうなので調べることはないし、人にもあまり言わない。

ここにも道に落ちている紙幣がある。しかしこれは百万円札。しかも破られている。

この光景から伝わってくる感情は「怒り」だ。そこになぜ破れているのかの理由が隠されている気がする。私は百万円札が破られるまでの過程を想像し始める。

道を歩いているとお札が落ちている。テンションは一気に上がり、喜び勇んでお札の元へと駆け寄って拾い上げる。漫画ならここで天使と悪魔が出てくるだろう。天使は「交番に届けましょう」と促し、悪魔は「ネコババしてしまえ」と囁く。一瞬迷いが生じてしまったとしても仕方ない。しかしよく見ると百万円札ではないか。ただのジョークグッズである。気づくと天使も悪魔もどこかへ行ってしまい、残されたのは騙された悔しさと恥ずかしさ。やがてそれは怒りへと変わり、破り捨てる。こうして誕生したのがこの破れた百万円札なのかもしれない。

別のパターンも考える。銀行強盗がお金を奪い逃走。逃げ切ったところでお金の入った鞄を確認する。すると一万円札ではなく百万円札ではないか。罪を犯してまで手に入れたのはジョークグッズ。やり場のない怒りから「畜生!」と破いて捨てる。そうして誕生したとも考えられる。

マジシャン志望の人がお札を破るマジックの練習をした跡ではないか、という考えも捨てきれない。マジックがなかなか上手くいかなく、己の不甲斐なさに苛立ち、破って投げ捨てたのだ。また、陶芸家が納得のいかない作品を投げて割るように、百万円札を作る職人が納得いかなくて破いて捨てた可能性だってある。

「百万円札だと気づいていない二人が奪い合った跡、というのもあるな……」

私の想像は止まらなくなる。こうして落ちているものは毎回私の時間を奪うのだ。ただしそれは嫌ではない。

ところで、私も以前、百万円札を持っていたことがある。舞台で使う小道具として買ったのだ。私の持っていたものはたしか百万円札のメモ用紙だった。

舞台が終わった後、引き出しに入れて保管していた。しかし、引き出しを開けると「こんなところにお金が!」と忘れていたヘソクリを見つけた時のように驚き、嬉しくなって、すぐに百万円札だと思い出してガッカリした。引き出しの中のお札はジョークグッズだとわかっていても、目に入って来た瞬間の色と形に反応してしまうのだ。結局私はそれを何度も繰り返してしまい、いい加減苛立ち、ついには怒りに任せて破いてゴミ箱に捨てることにした。

思えばそこにも「怒り」があった。

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せきしろ

せきしろ●1970年北海道生まれ。主な著書に、映像化された『去年ルノアールで』や、映画化された『海辺の週刊大衆』、『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』(共に双葉社)など。また、又吉直樹氏との共著『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(幻冬舎)、西加奈子氏との共著『ダイオウイカは知らないでしょう』(マガジンハウス)も。
ツイッターhttps://twitter.com/sekishiro

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