よみタイ

せきしろ「東京落物百景」
落とし物の数だけ、物語がある――。落とされたモノにも、そして落とした人にも。
『去年ルノアールで』『たとえる技術』などで知られる奇才せきしろが、東京の街の片隅で、本当に見つけたさまざまな落とし物について考える妄想ノンフィクション。

落ちている軍手を一定数見つけたら、願いが叶うかもしれない

ある都内の駅構内にて。ていねいに2枚重なって落ちていた。(写真/ダーシマ)
ある都内の駅構内にて。ていねいに2枚重なって落ちていた。(写真/ダーシマ)

なぜそこに軍手が? その答えは「帰り道がわかるように」だった!?

道に落ちているものの定番と言えば手袋であり、中でも当然のようにあるのが軍手であろう。あまりにも落ちていることが当たり前で、私はそれに対し何とも思っていなかったのだが、90年代初めに漫画家の天久聖一さんが落ちている軍手に注目し、色々と話してくれて、「そんなものを日々意識しているんだ!」と感動し、それから私は真似をして落ちている軍手を何かとネタに入れ込むようになった。

なぜ軍手が落ちているかという疑問の答えは、誰かが落としたから、それしかない。ただ、私は落ちている軍手を見るたびに、「この軍手には別の理由がある」と例外を考えてしまう。

なぜそこに軍手があるのか?

誰もが考える理由として「帰り道がわかるように」というのがある。グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』で森の中で迷わないようにとパンくずを落としていく記述に由来している。軍手はパンよりも重量があるから風には強いし、小鳥が食べることもない。ただ、結構な数の軍手を持ち歩いていないといけないわけだが。

また「変わり身の術」という考え方もある。忍者がいつのまにか丸太になっている術だ。軍手に手裏剣が刺さっていれば確実にこの理由だ。

変わると言えば「姿を変えられた王子様」というのも考えられる。悪い魔女の魔法で軍手に変えられた王子様だ。「これまた凄いものに変えられてしまったな。まだ生き物ならまだしも……」と思いつつ、王子様も「軍手って!」と思ってるだろうなと考えつつ、いつか誰かに気づいてもらえますようにと祈るしかない。

他にも「何かと入れ替わった」というのもある。誰かと軍手が衝突した時に中身が入れ替わったのだ。映画『転校生』や観月ありさのドラマ『放課後』や舘ひろしと新垣結衣の『パパとムスメの7日間』のパターンである。例をいくつか挙げたが最近だと『君の名は。』と言った方が最も伝わるだろうか。ただし、軍手と人間が衝突する機会がそもそもあるのかという疑問は残る。

その他、「テレポート失敗」だとか「こういうCM」という理由もある。前者は誰かがテレポートした時に軍手だけが残った、あるいは、軍手だけが突然現れたというものだ。後者は広告代理店が軍手を買ってもらおうと仕掛けたものあり、サブリミナルに近い気もするし、捨て看板のような気もする。

などと考えていたある日。

「落ちている軍手をある一定数見つけたら願いが叶うかもしれない」

私はふとそんなことを考えた。昔あった「1日にビートルを3回見たら幸せになれる」的なおまじないみたいなものだ。

いくつ見つければ願いが叶うかは不明だが、今度から見つけるたびに心の中で願ってみようと思う。そうしていればいつか既定の数に達した瞬間願いが叶うはずだ。

私のおかげで王子様は元の姿に戻れるかもしれない。

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せきしろ

せきしろ●1970年北海道生まれ。主な著書に、映像化された『去年ルノアールで』や、映画化された『海辺の週刊大衆』、『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』(共に双葉社)など。また、又吉直樹氏との共著『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』(幻冬舎)、西加奈子氏との共著『ダイオウイカは知らないでしょう』(マガジンハウス)も。
ツイッターhttps://twitter.com/sekishiro

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