2026.5.23
「流行りに乗れない」と進学・就職も詰んでいた日本社会? 「推し無き者」がしんどすぎた自身の進学と就職を振り返る
記事が続きます
自らの生きづらさを物書きとしてのテーマに収斂
物書きとして独立後も、ポジとネガは両面あった。
フリーランスの駆け出しはネオ実話誌に分類されるようなサブカル媒体の原稿依頼から始まったが、ネガはやっぱり言うまでもなく、芸能スポーツからギャンブル等のカルチャー全般が全くわからない=そもそも企画を請けられないこと。「駆け出しの誰にでもできる仕事」が僕にはできなかったということだ。
女子アナ評論家とかいう謎のオッサンに「国民的女子アナの乳のサイズと性癖を過去データから予測してもらう」とかいう現代では完全アウトな取材案件で、オッサンの口から次々飛び出す女子アナの顔も声も全く想像できない状況で延々与太話を聞いたとか、苦い記憶も満載だ。
一方でポジは、大体のことについて無知ゆえに、専門家取材では相手に気持ちよく話しまくっていただくことができたこと(なぜか仕事で聞く専門家の話は、興味のない分野でも楽しんで聞ける)。
そしてなにより、物書きとしてのテーマが触法(非行)少年少女や彼らのその後といったアンダーグラウンドのルポに収斂していく中で、成育過程の貧困や虐待経験を持つ彼らが共通して持っていたマインド=どんなに社会的に不適切とされている道でも「もう一切の自由を制限されたくない、野垂れ死んででも自分の自由を優先し、自助努力で生き抜くことを希求する」といったマインドに、生き物レベルでの共感と理解を寄せることができたことだろう。
大人目線で指導矯正するのではなく、その苦しさと精神をまっすぐリスペクトできたことは、この性格に生まれて最も良かった一部分かもしれない。
だが、そんなこんなで自身の専門分野ができ、なんとか単著の書籍も出してもらえるようになっている52歳の今でも、業務上でこの性格ゆえのリアルな実害は残存しまくっている。例えばこの「書いて売れる著者が重宝される時代」において、セルフプロモーション(すなわち自分を流行らせること)界隈が致命的にできないこととかだ。ファン心理わからんのにファンサできん。流行りにとことん無縁に生きてきてセルフプロモなんて言っても、どこで誰に何をアピればいいのかさっぱりわからんよ……。
記事が続きます
ヤフコメに長文のレスポンス(自分語り含む)が多数ついた驚き
さて。2回にわたって長々と書いた文字通りの闇回、黒歴史開示の帰結が、愚痴で終わってしまった。
けれど実は前回「敷かれたレールに『乗らない』のではなく『乗れない』……推せない者が現代日本を生きていくうえで生じる不利益と苦しみ」について、通常「著者は見るな!」と言われているヤフコメを見ると、想定外に長文のレスポンスが多くついていて、驚いた。
「自分語り乙」の揶揄で終わりそうな記事に、まさにその自分語りを含む長文レスがついているのだ。これは描こうとしている「このようにしか生きられなかった」というしんどさに、一定の普遍性があるからなのかもしれない。
少なくとも身辺の出版関係者からは不思議と共感エピソードが多いし(出版は一般のサンプルにならない偏った人種の集団だが)、「近しい性格でむしろ私はもっと詰んだ」「この業界に潜り込めていなければアウトだった」などという声もあった。
さらに「同じように国民的〇〇が当たり前のしんどい地元社会から自分を救い出してくれたのが、まさに『推し活』だった」などという声も。
「推しがあって当たり前」、「推し活が国民的ブーム」という強制についてしんどさ・迎合できない孤独を感じるパーソナリティの人にとって、ピンポイントの推しは救いになるというのは、なるほど理解できるし、現在のような一億総推し活みたいな同調圧力めいたブームの前にあった「本来の推し活」とは、きっとその同調圧力からの解放だったのかもしれない。
「推し活社会がしんどい」を切り口に始めた本連載、少々思いがけない方角を向き始めたが、次回よりそもそも現代社会においてこの推し活の意味合いがどのように推移してきたのかを含め、現代社会と集団から僕同様の疎外感孤立感を抱えてきた人々が果たしてマイノリティなのか、それぞれ個人の体験と感情を浮き彫りにする作業に移っていきたい。
この連載は毎月第4土曜日午前9時配信。次回は6月27日(土)公開予定です。お楽しみに!
記事が続きます
![[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント](https://yomitai.jp/wp-content/themes/yomitai/common/images/content-social-title.png?v2)















