2024.2.5
子どもの手を引き、高台へ【逃げる技術!第8回 防災編① 】津波から逃げる
今回は、藤井さんが今年1月1日の能登半島地震で被災した体験を基に、津波から子連れで逃げるときに得た気づきをお届けします。
イラスト/藤井セイラ 監修/太田啓子弁護士(湘南合同法律事務所)
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能登半島地震で被災された方にお見舞い申し上げます。
1月1日、わたしは実家のある富山に帰省しており、津波警報を聞いて高台まで走って逃げました。子どもと避難所で一晩を過ごして、あらためて「災害に備えて必要なこと、もの」について考えました。
今月は2回にわたって番外編として、防災という意味での「逃げる技術」を書かせていただこうと思います。なおこちらは、個人的な体験をもとにしており、避難の仕方は場所や震度、状況によって異なりますので、あくまでもご参考としてお読みください。
小さな揺れがあって、その4分後に震度5強が
2024年1月1日、わたしのいた地点は、16時10分の本震では最大震度5強(能登は震度7)でした。その直前、16時6分に震度3(能登は震度5強)の地震があったのです。
わたしの場合は、最初の1回でかえって油断してしまいました。最初の揺れは、壁のカレンダーなどは揺れるものの、平気で立っていられる程度。そのときは5歳、8歳の子どもたちと一緒に、絵本を読むために寝室にいたのです。
5歳の娘がこわがったので、わざと「大丈夫。すぐ終わったよ」「富山で地震なんてめずらしいね」と軽口をたたいてしまいました。わたしが軽く話すのを聞いて、8歳の娘は「わたし、おやつ食べてくるね!」とリビングへいってしまいました。その結果、長女は本震をひとりで迎えることになります。
今は、地震のあとは、特に用事がなければ、子どもと一緒にいてやるようにしよう、と考えています。子どもへの声かけも、いたずらにこわがらせるのはよくありませんが、「大丈夫。もう終わったよ」ではなく、今後は「余震がくることもあるよ。気をつけようね」「ヘルメット取ってきておこうか?」などにしよう、と思っています 。
小さな揺れのあとに本震がくることも。油断しないで。
「地震はこない」とお年寄りは話していた
本震の震度5強は、富山では体験したことのない大きさでした。日本列島はプレートの境目にあり、この国に地震のない場所などないのだと頭ではわかっていましたが、「富山にゃ大きい地震はこんがや(富山にはこないのだ)」「立山が守っとる!(霊峰立山連峰のご加護だ)」とお年寄りが冗談まじりにいうのを、小さな頃から聞いて育ってきました。
ところが元日夕方のその地震は激しいものでした。巨人が家をつかんで横に揺さぶっているようです。我が家は木造です。和室を構成する障子や梁の端正な縦横の線が、そのときはコンニャクのようにゆがんで見え、ミシミシ、キュッキュと木材のきしむ音がします。報道で確認すると40秒間ほど揺れが続いていたようですが、体感的にはもっと長く感じました。
部屋には母の嫁入り道具の重たい鏡台があったので、それが飛ばないか気になって注視していました(終わってから見ると15センチほど前進していました)。頭を守るものが他にないので、5歳と一緒に布団をかぶりました。
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