2022.11.23
パンツを穿いた土偶とDNA
愛猫を見送り、ひとり暮らしとなった群ようこさんの、ささやかながらも豊かな日常時間をめぐるエッセイです。
版画/岩渕俊彦
第9回 パンツを穿いた土偶とDNA

前に自分の体が「く」の字になっているのに気がつき、仰天した話を書いた。その「く」の字に関しては、極力気をつけるようになったので、ふと浴室の鏡を見ても、ぎょっとしなくなった。やっぱり意識のなかにあると、少しは違うんだなと思ったりしたのだが、新たな問題が出てきた。
私が小学校低学年の頃だったが、同級生の男の子のお母さんの姿をみて、
(どぐうみたい)
と思ったことがあった。うちでは親の方針として、
「勉強でわからないことがあったら、すぐに親に聞かないで、そのための本は買ってあげるから、まず自分で調べなさい。それでもわからなかったら、学校の先生に聞きなさい」
といわれていた。そのため、うちはお金がないのにもかかわらず、百科事典と子ども用の図鑑のセットがあった。私は特に図鑑が大好きで、学校から帰っては手にとって眺めていた。それで「はにわ」と「どぐう」を知ったのである。はにわは自分たちが作った紙粘土人形のようで、『おそ松くん』に出てくる、イヤミみたいにシェーをしていた。どぐうは太ったおばさんにしか見えなかった。しかしその両方とも、私のお気に入りになった。
私の母は腰高で脚が長く、近所のおばさんから、
「子どもを二人も産んで、ヒップが八十五センチって、どういうことなの?」
などといわれていたので、身近にはどぐうはいなかった。そこで同級生のお母さんを見て、
(あっ、どぐうがいるっ)
と目が釘づけになってしまったのだった。喜んで母に報告すると、
「そんなことをいうものじゃない」
と叱られた。私はただ現実に動く「どぐう」がいたのがうれしかったのに、母の厳しい顔つきをみると、それは軽々しくいってはいけないことだと悟ったのだった。