よみタイ

家族とはどんな存在ですか? 第5便 「家族」を書く理由

ともに翻訳家でエッセイストの村井理子さんとクォン・ナミさん。
300冊以上の日本文学作品を韓国語に翻訳されたクォンさんのエッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』を村井さんが読んだことがきっかけで、メールのやり取りが始まりました。
翻訳家であること、介護経験をしていること、愛犬を亡くしたこと、そして50代女性という共通点が次から次へと出てきて…語り合いたいことが尽きないふたりの、ソウルと大津の間を飛び交う往復書簡エッセイです。

第1便と、第2便は韓国語でも読めます!


バナーイラスト 花松あゆみ

第5便「家族」を書く理由

記事が続きます

 ナミさんへ

 ナミさん、お元気ですか? 日本はようやく冬らしい気候になってきました。私が住む地域は、琵琶湖(日本で最も大きな湖で、滋賀県にあります)周辺でも特に雪深い場所です。家が山の麓にあるということもあり、秋から冬は季節風が吹き荒れて、洗濯物が行方不明になることも珍しくはありません。道路はツルツルに凍結します。今朝も、いつものように、朝六時半に飼い犬のテオを連れて散歩に出ました。山を見ると、頂上は雪で白く、吹き下ろしてくる強い風にはたっぷりと冷気が含まれています。寒くて震え上がりました。しかしテオは平気なようで、いつもと変わらず、明るい表情で歩き回っていました。犬はとてもかわいい生き物ですが、散歩が本当に大変ですよね。嵐でも大雪でも、とりあえずは外に出さなければなりません。それはわかりきっているのに、どうしても犬を飼ってしまいます。辛いことがあっても、なかなか懲りません。ナミさんの愛犬ナムもいたずらだったとお聞きしました。いつもかわいいお写真、ありがとうございます。仕事中に見て、すっかり和ませて頂いております。

 前回頂いたお手紙に、心に残った一節がありました。そして、多くの読者のみなさんの心にも残ったようです。ナミさんは、こう書いて下さっていました。

「理子さん、そのとき私は改めて気づきました。親孝行する人は必ずしも幸せではないことに。〝親は親で自分の人生を生きるだろう、私は私だよ″って何も考えずに生きる人が幸せな人なんだと。」

 じわじわと心が温かくなるのを感じました。表だって書くことはできずに今まできていますが、ナミさんとの私的なメールのやりとりで、ナミさんは私が子育てに苦戦していることを知っておられます。もしかしたら、それを心の片隅で思いながら、この言葉を書いて下さったのではと勝手に解釈して、そして気が楽になってしまいました(笑)。私はよく、「恐ろしくポジティブ」とか、「悪いことも良い方向に無理矢理ねじ曲げる性格だね」と知り合いに言われるのですが、今回もナミさんの言葉で突然ポジティブになりました。私は今まで、自分の人生を生きてきたという自負があります。それで正しかったのだと少し自信がわきました。慰められもしました。そして、子どもたちが勝手に生きてそれでいいのだと思いました。ただ、親になった今、自分と親との関係性を思い出すと、心が痛む部分もあります。それは私が「家族」を書き続ける理由になっているかもしれません。

 私の父は、私が十九歳になったばかりの頃に亡くなりました。四十九歳でした。今の私よりも若い年齢で病気になり、数ヶ月であっという間に去って行きました。だから、父との記憶は時間の経過とともに薄れ、今となってはおぼろげなものになりました。あれだけ自分にとって偉大だと思えた父も、今の私よりは年下だったと思うと微笑ましい気持ちにもなります。なんだか、かわいい後輩みたいです。はっきりと記憶しているのは、父と、折り合いの悪かった兄が激しく口論し、喧嘩をしている姿で、思い出したときには苦い気持ちになります。父は一体どんな人物だったのかと、今でも不思議です。少しだけでも話をすることができればわかるのにと悔しい気持ちになりますが、死別の現実はとてもシビア。このまま、父という人は私にとっては謎のままになるでしょう。若い頃はそれでも平気でしたが、最近は「どんな人だったのか知りたい」という気持ちが強くなっています。一度、父の生まれ育った場所に行き、父の同級生を訪ねる旅をしてみたいなんて考えています。戸籍を調べると、すでにダムの底に沈んでいるのですが……(ホラー!)。

村井家のカーテンを破ったのは誰だろう…
村井家のカーテンを破ったのは誰だろう…

 一方、母が亡くなったのは十年ほど前のことです。母とは父が死んだ直後から関係が悪くなり、長い間疎遠な時期が続きました。今、自分自身が親になって理解できますが、母にとって、私に距離を置かれてしまったことは、何よりも辛いことだったと思います。会うのも数年に一回程度。私はいつも不機嫌な対応をしていました。新幹線で数時間の距離に住んでいたというのに、私は故郷を徹底的に避け、その象徴のような母の存在からも逃げ続けました。理由は、父を失った母が、孤独のあまり恋愛をしたから。今考えると、「そんな些細なことで」と思いますが、若かった私にはどうしても理解できなかったのです。恋人に熱を上げて、私との約束を破り続ける母の心理が。だから、私は母のことを遠ざけました。「私は私」と思って生きるというよりは、「彼女のような人生なんてまっぴらごめん」というような思いを抱いて、全力で逃走しました。故郷にいい思い出なんてひとつもない。あそこから離れて自由にならなければならない。私にはもう、家族と呼べる人たちはいない。父が死んだときに、すべて壊れてしまったのだ……こう思っていました。
 今となっては、すべて若過ぎた私の勘違いであり、過剰に反応していただけで、母はきっと辛い思いをしていたでしょう。必死に育てた娘が自分と連絡を絶ち、どこで何をしているのかもわからなかったのですから。父を失い、シングルマザーになった母が、恋愛をして何が悪かったのか。それぐらいのことを許すことができなかった自分の幼さを恥じています。母方の親戚は長生きをしている人が多く、今も時折連絡をくれます。母のことは誰もが「優しい人だった。晩年は苦労しちゃったけど……」と言います。その、晩年の苦労のあたりに私も入っているのだろうかと、ドキリとします。

 最近よく、「村井さんにとって『家族』とは?」と、インタビューなどで聞かれる機会が増えました。そのたびに「来たぞ!」という気持ちになります。というのも、私にとって「家族」とは、永遠の謎だからです。もともとの家族は、私が若い頃に残念ながら解散を迎えたと思っていますし、結婚して得た家族は、あまりにも近い存在であり、「大切です」なんて恥ずかしくて面と向かって言えないですし、インタビューでそう答えることもできません。だからいつも、「ええっと……わかりません」と答えています(笑)。

 家族って一体どんな存在なのでしょう。一人で生きられると思っていても、私たちはたった一人で死ぬことさえできません。最後の最後まで家族や他の誰かの手を借りなければ、私たちは人生を終えることもできません。もちろん、「死ぬ」という部分だけを捉えれば、人間は一人で死ぬわけですが、人間の死はその瞬間だけの話ではなく、死後もある程度継続して影響を及ぼすものです。お母様を見送られたナミさんだったらきっとご存じだし、理解してくださると思います。家族って、本当に難しい。大切なのはわかるけれど、人生にとって最も頭の痛い存在にもなり得るからです。
 なんだかとても深いことを書いてしまいました。こんなことを突然書かれて、ナミさんも困惑していたらどうしよう。それでも一度、聞いてみたいと思っていました。お忙しいところに厄介な質問ですいません。普通、こういう質問はしこたまビールを飲んでいるときに聞き、大笑いするタイプのものですが、素面しらふの状態で聞いてしまいます。
 ナミさんにとって、家族とはどんな存在ですか?

 村井理子

たくさんの木を集めるハリー
たくさんの木を集めるハリー

記事が続きます

1 2

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント

よみタイ新着記事

新着をもっと見る

クォン・ナミ(權南姬)

クォン・ナミ(權南姬)
1966年、大邱生まれ。韓国を代表する日本文芸の翻訳家でエッセイスト。主な訳書に、村上春樹『パン屋再襲撃』『村上ラヂオ』、小川糸『食堂かたつむり』『ツバキ文具店』、恩田陸『夜のピクニック』、群ようこ『かもめ食堂』、天童荒太『悼む人』、益田ミリ『僕の姉ちゃん』シリーズ、角田光代『紙の月』、三浦しをん『舟を編む』、東野圭吾『宿命』、ヨシタケシンスケ『メメンとモリ』、 鈴木のりたけ『大ピンチずかん1,、2』など翻訳歴約32年の間に300冊以上を担当。著書に、エッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』(日本語版平凡社刊)、『面倒だけど、幸せになってみようか』『ある日、心の中にナムを植えた My Dog's Diary』『スターバックス日記』 などがある。

권남희
1966년, 대구 출생. 일본문학번역가, 에세이스트. 지은 책으로 『번역에 살고 죽고』 『귀찮지만 행복해볼까』『혼자여서 좋은 직업』『어느 날 마음속에 나무를 심었다』『스타벅스 일기』가 있으며, 옮긴 책으로 『빵가게재습격』『무라카미 라디오』『밤의 피크닉』『달팽이식당』『츠바키 문구점』『카모메식당』 『애도하는 사람』 『종이달』 『배를 엮다』 『누구』『라이온의 간식』 『숙명』 『무라카미 T』 『메멘토모리』 『위기탈출도감1,2』 외에 많은 작품이 있다.






村井理子

1970年、静岡県生まれ。翻訳家、エッセイスト。主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』『ハリー、大きな幸せ』『家族』『はやく一人になりたい!』『村井さんちの生活』 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』『ブッシュ妄言録』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『ふたご母戦記』『ある翻訳家の取り憑かれた日常』『義父母の介護』『エヴリシング・ワークス・アウト 訳して、書いて、楽しんで』など。主な訳書に『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖』『エデュケーション』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』『消えた冒険家』『ラストコールの殺人鬼』『射精責任』など。

무라이 리코
1970년, 시즈오카현 출생. 번역가, 에세이스트. 주요 저서로 『오빠가 죽었다』 『낯선 여자가 매일 집에 온다』 『필요 없지만 고마워: 항상 무언가에 쫓기고, 누군가를 위해 지쳐있는 우리를 구원하는 기술』 『하리, 커다란 행복』 『가족』 『빨리 혼자가 되고 싶어!』 『무라이 씨 집의 생활』 『무라이 씨 집의 꽉꽉 채운 오븐구이』 『부시 망언록』 『갱년기 장애인 줄 알았는데 중병이었던 이야기』 『책 읽고 나서 산책 가자』 『쌍둥이 엄마 분투기』 『어느 번역가의 홀린 듯한 일상』 『시부모 간병』 등이 있다. 주요 번역서로는 『요리가 자연스러워지는 쿠킹 클래스』 『어둠 속으로 사라진 골든 스테이트 킬러』 『메이드의 수첩』 『배움의 발견』 『포식자: 전 미국을 경악하게 한, 잠복하는 연쇄 살인마』 『사라진 모험가』 『라스트 콜의 살인마』 『사정 책임』 등이 있다.

X:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

週間ランキング 今読まれているホットな記事

      広告を見ると続きを読むことができます。