2025.1.14
家族とはどんな存在ですか? 第5便 「家族」を書く理由
300冊以上の日本文学作品を韓国語に翻訳されたクォンさんのエッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』を村井さんが読んだことがきっかけで、メールのやり取りが始まりました。
翻訳家であること、介護経験をしていること、愛犬を亡くしたこと、そして50代女性という共通点が次から次へと出てきて…語り合いたいことが尽きないふたりの、ソウルと大津の間を飛び交う往復書簡エッセイです。
☆第1便と、第2便は韓国語でも読めます!
バナーイラスト 花松あゆみ
第5便「家族」を書く理由
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ナミさんへ
ナミさん、お元気ですか? 日本はようやく冬らしい気候になってきました。私が住む地域は、琵琶湖(日本で最も大きな湖で、滋賀県にあります)周辺でも特に雪深い場所です。家が山の麓にあるということもあり、秋から冬は季節風が吹き荒れて、洗濯物が行方不明になることも珍しくはありません。道路はツルツルに凍結します。今朝も、いつものように、朝六時半に飼い犬のテオを連れて散歩に出ました。山を見ると、頂上は雪で白く、吹き下ろしてくる強い風にはたっぷりと冷気が含まれています。寒くて震え上がりました。しかしテオは平気なようで、いつもと変わらず、明るい表情で歩き回っていました。犬はとてもかわいい生き物ですが、散歩が本当に大変ですよね。嵐でも大雪でも、とりあえずは外に出さなければなりません。それはわかりきっているのに、どうしても犬を飼ってしまいます。辛いことがあっても、なかなか懲りません。ナミさんの愛犬ナムもいたずらだったとお聞きしました。いつもかわいいお写真、ありがとうございます。仕事中に見て、すっかり和ませて頂いております。
前回頂いたお手紙に、心に残った一節がありました。そして、多くの読者のみなさんの心にも残ったようです。ナミさんは、こう書いて下さっていました。
「理子さん、そのとき私は改めて気づきました。親孝行する人は必ずしも幸せではないことに。〝親は親で自分の人生を生きるだろう、私は私だよ″って何も考えずに生きる人が幸せな人なんだと。」
じわじわと心が温かくなるのを感じました。表だって書くことはできずに今まできていますが、ナミさんとの私的なメールのやりとりで、ナミさんは私が子育てに苦戦していることを知っておられます。もしかしたら、それを心の片隅で思いながら、この言葉を書いて下さったのではと勝手に解釈して、そして気が楽になってしまいました(笑)。私はよく、「恐ろしくポジティブ」とか、「悪いことも良い方向に無理矢理ねじ曲げる性格だね」と知り合いに言われるのですが、今回もナミさんの言葉で突然ポジティブになりました。私は今まで、自分の人生を生きてきたという自負があります。それで正しかったのだと少し自信がわきました。慰められもしました。そして、子どもたちが勝手に生きてそれでいいのだと思いました。ただ、親になった今、自分と親との関係性を思い出すと、心が痛む部分もあります。それは私が「家族」を書き続ける理由になっているかもしれません。
私の父は、私が十九歳になったばかりの頃に亡くなりました。四十九歳でした。今の私よりも若い年齢で病気になり、数ヶ月であっという間に去って行きました。だから、父との記憶は時間の経過とともに薄れ、今となってはおぼろげなものになりました。あれだけ自分にとって偉大だと思えた父も、今の私よりは年下だったと思うと微笑ましい気持ちにもなります。なんだか、かわいい後輩みたいです。はっきりと記憶しているのは、父と、折り合いの悪かった兄が激しく口論し、喧嘩をしている姿で、思い出したときには苦い気持ちになります。父は一体どんな人物だったのかと、今でも不思議です。少しだけでも話をすることができればわかるのにと悔しい気持ちになりますが、死別の現実はとてもシビア。このまま、父という人は私にとっては謎のままになるでしょう。若い頃はそれでも平気でしたが、最近は「どんな人だったのか知りたい」という気持ちが強くなっています。一度、父の生まれ育った場所に行き、父の同級生を訪ねる旅をしてみたいなんて考えています。戸籍を調べると、すでにダムの底に沈んでいるのですが……(ホラー!)。
一方、母が亡くなったのは十年ほど前のことです。母とは父が死んだ直後から関係が悪くなり、長い間疎遠な時期が続きました。今、自分自身が親になって理解できますが、母にとって、私に距離を置かれてしまったことは、何よりも辛いことだったと思います。会うのも数年に一回程度。私はいつも不機嫌な対応をしていました。新幹線で数時間の距離に住んでいたというのに、私は故郷を徹底的に避け、その象徴のような母の存在からも逃げ続けました。理由は、父を失った母が、孤独のあまり恋愛をしたから。今考えると、「そんな些細なことで」と思いますが、若かった私にはどうしても理解できなかったのです。恋人に熱を上げて、私との約束を破り続ける母の心理が。だから、私は母のことを遠ざけました。「私は私」と思って生きるというよりは、「彼女のような人生なんてまっぴらごめん」というような思いを抱いて、全力で逃走しました。故郷にいい思い出なんてひとつもない。あそこから離れて自由にならなければならない。私にはもう、家族と呼べる人たちはいない。父が死んだときに、すべて壊れてしまったのだ……こう思っていました。
今となっては、すべて若過ぎた私の勘違いであり、過剰に反応していただけで、母はきっと辛い思いをしていたでしょう。必死に育てた娘が自分と連絡を絶ち、どこで何をしているのかもわからなかったのですから。父を失い、シングルマザーになった母が、恋愛をして何が悪かったのか。それぐらいのことを許すことができなかった自分の幼さを恥じています。母方の親戚は長生きをしている人が多く、今も時折連絡をくれます。母のことは誰もが「優しい人だった。晩年は苦労しちゃったけど……」と言います。その、晩年の苦労のあたりに私も入っているのだろうかと、ドキリとします。
最近よく、「村井さんにとって『家族』とは?」と、インタビューなどで聞かれる機会が増えました。そのたびに「来たぞ!」という気持ちになります。というのも、私にとって「家族」とは、永遠の謎だからです。もともとの家族は、私が若い頃に残念ながら解散を迎えたと思っていますし、結婚して得た家族は、あまりにも近い存在であり、「大切です」なんて恥ずかしくて面と向かって言えないですし、インタビューでそう答えることもできません。だからいつも、「ええっと……わかりません」と答えています(笑)。
家族って一体どんな存在なのでしょう。一人で生きられると思っていても、私たちはたった一人で死ぬことさえできません。最後の最後まで家族や他の誰かの手を借りなければ、私たちは人生を終えることもできません。もちろん、「死ぬ」という部分だけを捉えれば、人間は一人で死ぬわけですが、人間の死はその瞬間だけの話ではなく、死後もある程度継続して影響を及ぼすものです。お母様を見送られたナミさんだったらきっとご存じだし、理解してくださると思います。家族って、本当に難しい。大切なのはわかるけれど、人生にとって最も頭の痛い存在にもなり得るからです。
なんだかとても深いことを書いてしまいました。こんなことを突然書かれて、ナミさんも困惑していたらどうしよう。それでも一度、聞いてみたいと思っていました。お忙しいところに厄介な質問ですいません。普通、こういう質問はしこたまビールを飲んでいるときに聞き、大笑いするタイプのものですが、素面の状態で聞いてしまいます。
ナミさんにとって、家族とはどんな存在ですか?
村井理子
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