よみタイ

親孝行する人は必ずしも幸せではない 第4便 娘と息子

クォンさんから村井さんへ

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理子さんへ

 今、私は韓国のキョンサンブクにある安東アンドンという都市で一ヶ月を過ごしています。安東はソウルよりかなり南で、サンの少し北側に位置する内陸の町です。世界遺産であるフェ村と安東国際仮面舞フェスティバルが有名で、最近では日本でも知られているドラマ『ミスター・サンシャイン』のロケ地としても注目を集めています。韓国の伝統的な文化が色濃く残る町で自然の風景が美しく、人口が少ないため、とても静かで穏やかな雰囲気が漂っています。私はこの町で女子校に通っていましたので、懐かしさと親しみを覚える場所でもあります。 

 それから、韓国には、名字に「本貫ほんかん」というルーツを示す概念があります。これはその名字の発祥地を表し、二十年ぐらい前までは名字と本貫が同じだと同じ家系と見なされて、なんの血のつながりがなくても結婚ができませんでした。私は安東を本貫とする「安東権氏」に属しています。そんな安東で過ごしているので、精神的にもとても安らぎを感じています。その安らぎのなかで、東京で一ヶ月間暮らしたときの話を本にするための原稿を書いています。

 翻訳の仕事、子育てやわんちゃんの世話、親の介護などで、まるで寒い地方で毎日降り積もる雪をひたすら掃き続けるように慌ただしく過ぎたこれまでの年月を振り返ると、今は本当に夢のような贅沢です。

 まだご主人や子どもたちやわんちゃんのお世話、義両親の介護で奮闘中の理子さんには、自慢しているみたいで申し訳ないですが、理子さんもいつかそんな時間を卒業して、きっと、私のように一人の身で、自分の望む環境で心ゆくまで好きなことに打ち込める日が訪れると信じています。私も今年ようやくその段階を卒業したばかりで。そうそう、ちょうどこの連載が公開される十二月十日が母の一周忌だから、自由になったのも一周年になりますね。

 それはそれとして、〝運動好きな十八歳の双子の息子さん″と聞いただけでも、とても頼もしく感じられます。世の中、怖いものなんて何もなさそうじゃないですか。うらやましいです!うちはこの前、夜中に虫一匹が見つかって大騒ぎになりました。笑。

願いが書ける場所でしたためた「정하야, 파이팅!(ジョンハちゃん、ファイト!)」
願いが書ける場所でしたためた「정하야, 파이팅!(ジョンハちゃん、ファイト!)」

 そうなんです、十月に靜河とタイのチェンマイに行ってきました。チェンマイは初めてでしたが、惚れ惚れ。一時期、韓国で「チェンマイでの一ヶ月暮らし」が人気だったことがありますが、実際に行ってその理由がわかりました。タイマッサージが1時間で300バーツ、1250円!食べ物は安くて人は優しいし、観光地は多いし。現地の人のように馴染んで楽しんでいる私に、娘が「お母さんのパーソナルカラーはタイだね」と言っていました。韓国では着られなかった肩を完全に露出したワンピースを着て、タイで買ったエコバッグを持ち、タイマッサージを受け、おしゃれなカフェに行き、ブックカフェで翻訳もして。この地でも一ヶ月暮らしてみたいな、と思いました。引きこもりだった私がどうしたのでしょうね。

 理子さんがおっしゃっる通り、娘は他の子より親孝行なほうです。でもね、いくらいい子でも、いくら大きくなっても子どもは油断禁物。ある日、ひとりで泣いている声が靜河の部屋から聞こえたので、訳を聞いたんです。そうしたら、「私が望んでいるのはただ、お母さんが幸せであることだけ。お母さんが幸せになるためならお金を使うことは惜しくない。でもお母さんを幸せにしなきゃいけないというプレッシャーがとてもつらいの」と言うのです。まるでハンマーで殴られたような気分でした。その気持ちは誰よりも私がよくわかっていたからです。自分で言うのもなんですが、私も親孝行な娘だったので。親に頼まれたわけでもないのに、自分が好きで親孝行をしていましたが、それでも親孝行しなければと思ってしまう状況を重く感じることがよくありました。それを娘も感じていたのだと知り、もう、複雑な気持ち。
 理子さん、そのとき私は改めて気づきました。親孝行する人は必ずしも幸せではないことに。〝親は親で自分の人生を生きるだろう、私は私だよ″って何も考えずに生きる人が幸せな人なんだと。だから将来、もしも双子の息子さんが理子さんに何もしてくれなくても、「ああ、息子たちは私のこと気にせずに気楽に幸せに暮らしているんだ、よかった」と思ってください。

 私はなるべく娘に気を遣わせないよう、ひとりでも幸せに生きる方法を模索するつもりです。この、ソウルではない他の都市での一ヶ月暮らしもその方法の一つかも。親孝行DNAを持って生まれた者は一生の首枷くびかせのように親を背負って歩くかのもしれません。DNAは人間のなかにあるけれど、人間がどうすることもできないものですね。だから、なるべく娘の荷物にならないように健康に気をつけながら、もっとバリバリ働きたいと思います。精神的にも経済的にも頼らない親になることを将来の夢にします。 

 東京での一ヶ月暮らしのことを書いていたら、また東京が懐かしくなりました。あのときは寒くて相当苦労したのに。一番、懐かしいのは追分だんごかな。追分だんごは、東京に行く前に翻訳した益田ミリさんの『今日のおやつは何にする?』に出てきて知りましたが、めちゃくちゃおいしかったんです。

 いつか新宿の紀伊國屋書店でお会いして、道の向こう側にある追分だんごのお店でおいしいおだんごを食べましょうね。

                                             南姬

9月のチェンマイ旅行での靜河さん
9月のチェンマイ旅行での靜河さん

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*次回は1月7日(火)公開予定です。

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それぞれに個性的な母たちを活写する話題作!

癌の闘病ののちに亡くなった実母、高齢の義父とふたりで暮らす認知症が加速度的に進行する義母。昭和時代を必死で駆け抜けた女性ふたりの人生をたどる。

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クォン・ナミ(權南姬)

クォン・ナミ(權南姬)
1966年、大邱生まれ。韓国を代表する日本文芸の翻訳家でエッセイスト。主な訳書に、村上春樹『パン屋再襲撃』『村上ラヂオ』、小川糸『食堂かたつむり』『ツバキ文具店』、恩田陸『夜のピクニック』、群ようこ『かもめ食堂』、天童荒太『悼む人』、益田ミリ『僕の姉ちゃん』シリーズ、角田光代『紙の月』、三浦しをん『舟を編む』、東野圭吾『宿命』、ヨシタケシンスケ『メメンとモリ』、 鈴木のりたけ『大ピンチずかん1,、2』など翻訳歴約32年の間に300冊以上を担当。著書に、エッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』(日本語版平凡社刊)、『面倒だけど、幸せになってみようか』『ある日、心の中にナムを植えた My Dog's Diary』『スターバックス日記』 などがある。

권남희
1966년, 대구 출생. 일본문학번역가, 에세이스트. 지은 책으로 『번역에 살고 죽고』 『귀찮지만 행복해볼까』『혼자여서 좋은 직업』『어느 날 마음속에 나무를 심었다』『스타벅스 일기』가 있으며, 옮긴 책으로 『빵가게재습격』『무라카미 라디오』『밤의 피크닉』『달팽이식당』『츠바키 문구점』『카모메식당』 『애도하는 사람』 『종이달』 『배를 엮다』 『누구』『라이온의 간식』 『숙명』 『무라카미 T』 『메멘토모리』 『위기탈출도감1,2』 외에 많은 작품이 있다.






村井理子

1970年、静岡県生まれ。翻訳家、エッセイスト。主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』『ハリー、大きな幸せ』『家族』『はやく一人になりたい!』『村井さんちの生活』 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』『ブッシュ妄言録』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『ふたご母戦記』『ある翻訳家の取り憑かれた日常』『義父母の介護』『エヴリシング・ワークス・アウト 訳して、書いて、楽しんで』など。主な訳書に『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖』『エデュケーション』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』『消えた冒険家』『ラストコールの殺人鬼』『射精責任』など。

무라이 리코
1970년, 시즈오카현 출생. 번역가, 에세이스트. 주요 저서로 『오빠가 죽었다』 『낯선 여자가 매일 집에 온다』 『필요 없지만 고마워: 항상 무언가에 쫓기고, 누군가를 위해 지쳐있는 우리를 구원하는 기술』 『하리, 커다란 행복』 『가족』 『빨리 혼자가 되고 싶어!』 『무라이 씨 집의 생활』 『무라이 씨 집의 꽉꽉 채운 오븐구이』 『부시 망언록』 『갱년기 장애인 줄 알았는데 중병이었던 이야기』 『책 읽고 나서 산책 가자』 『쌍둥이 엄마 분투기』 『어느 번역가의 홀린 듯한 일상』 『시부모 간병』 등이 있다. 주요 번역서로는 『요리가 자연스러워지는 쿠킹 클래스』 『어둠 속으로 사라진 골든 스테이트 킬러』 『메이드의 수첩』 『배움의 발견』 『포식자: 전 미국을 경악하게 한, 잠복하는 연쇄 살인마』 『사라진 모험가』 『라스트 콜의 살인마』 『사정 책임』 등이 있다.

X:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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