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認知症となった母と会うのが怖かった 第8便 子の心に後悔を残す実の親子間の介護

ともに翻訳家でエッセイストの村井理子さんとクォン・ナミさん。
300冊以上の日本文学作品を韓国語に翻訳されたクォンさんのエッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』を村井さんが読んだことがきっかけで、メールのやり取りが始まりました。
翻訳家であること、介護を経験をしていること、愛犬を亡くしたこと、そして50代女性という共通点が次から次へと出てきて…語り合いたいことが尽きないふたりの、ソウルと大津の間を飛び交う往復書簡エッセイです。

第1便と、第2便は韓国語でも読めます!


バナーイラスト 花松あゆみ

第8便

記事が続きます

ナミさんへ

 お元気ですか? お手紙ありがとうございました。
 私が住んでいる琵琶湖の北西部は、冬はかなり雪が降ります。今年も、去年に比べたら、たくさん降ったと思います。つい先日まで朝晩は冷え込んで、大きなストーブに火を点けていたというのに、今日はすっかり春めいて、少し暑いくらいです。春の始まりは、琵琶湖の水が淡い青色になります。冬の灰色の水が青くなると、ああ、冬も終わりに近づいたなと思います。ソウルはどんな様子でしょうか。
 エッセイ集の日本語版が出版されるとのこと、おめでとうございます。一冊といわず、これから先もどんどんナミさんの言葉が日本語になり、本になることを祈っています。きっとそうなるでしょう。私にはわかります。ふふふ。
 前回のお手紙では、お母様の介護の様子を詳しく書いて下さいました。壮絶な日々を送られていたのですね。ナミさんがお一人で大変な介護をされていた様子を想像して、胸が痛みました。実の親の介護は、義理の親の介護よりも大変だとよく言われます。それは、子が親を想うあまり、全力を出し切って、燃え尽きてしまうからです。そして、親からすればまったく本意ではないでしょうが、子の心に大きな後悔を残すのも、実の親子間の介護だと言いますよね。だって、介護に正解はありませんから。どれだけやっても、満点にはならないのです。もっとやってあげられたはずなのにと考えるのです。
 私は自分の母が認知症になったことに気づいていませんでした。新幹線で数時間の距離の場所で離れて暮らしていたことも理由でしたが、双子の息子たちが小さい頃は、とにかく育児が大変で、母のことを思いやることもできませんでした。ある日、母の主治医を名乗る男性から電話があり、「お母さんに最後に会ったのはいつですか?」と聞かれました。もしかしたら責められるのかもしれないと考えて、身構えました。「三年ぐらい前です」と答えると男性は、「あなたは気づいていないと思いますが、お母様はたぶん認知症を患っています。そのうえ、すいぞう癌です。随分痩せられて、以前の面影はありません。早く会いに来てあげてください」
 私は急いで母に会いに故郷に戻りました。駅で会った母は、確かに別人のように痩せ衰えていました。目もうつろで、一緒に連れて行った双子の息子たちを見ても、感情をあらわにすることはありませんでした。私は母が認知症になってしまった上に、膵臓癌であると知らされたことで衝撃を受けるというよりも、母が怖くなりました。なぜ母が怖くなったのかはわかりません。彷徨さまようような視線が恐ろしかった。途絶えがちになる会話が震えるほど怖かった。そして母から逃げるようにして、最終的に、母を一人で病院で死なせてしまいました。これについては後悔ばかりです。頼りがいのない兄も同じように母から逃げて、遠い町に移り住み、責任を放棄したのは確かですが、兄を責めるというよりも、何もしなかった自分を責めました。母には気の毒なことをしたと今でも思っています。

 義理の両親の介護を始めて六年が経過しました。今日、義理の母は、二度も家から出て、近所をはいかいしてしまいました。普段はデイサービス(朝の九時から夕方の六時まで預かってくれる介護サービス)で過ごしていますが、今日は、どうしても起きることができず、デイサービスからの迎えの車に乗ることができなくて、休んでいたのです。私はあいにく、今日は遅れている原稿を書かなければならず、義母の介護は義父に任せました。でも、九十一歳の義父に認知症の義母の介護なんて無理なのです。そんなこんなで、義母は二度も徘徊。仕事を必死に済ませてから夫の実家に車を走らせましたが、義母は表情も乏しく、言葉も少なかったです。義母の小さな体のなかから、彼女の人格はほとんど溶け出してしまったようです。
 義理の母の介護をしつつ、実の母の最期を思い出さずにはいられません。運命って、本当にねじれているなと思います。
 前回のお手紙の最後に、ビッグニュース(?)が書かれていました。なんと新たな計画を立てていらっしゃるとのこと。やりたいことや夢が尽きないナミさん、さすがだなと思いました。「私たちは思っているよりも近い未来に会うことになりそうです」というお言葉が気になります!
 前世が双子の翻訳姉妹が、会える日が来るのでしょうか?
 なんだか、春に向けてすごいニュースがやってきそうです! 今日は少し暗いことを書いてしまいました。私の後悔がナミさんに伝染しませんように。
 寒暖差が大きい季節です。どうぞお体に気をつけてください。
 それでは、また書きます。

村井理子

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クォン・ナミ(權南姬)

クォン・ナミ(權南姬)
1966年、大邱生まれ。韓国を代表する日本文芸の翻訳家でエッセイスト。主な訳書に、村上春樹『パン屋再襲撃』『村上ラヂオ』、小川糸『食堂かたつむり』『ツバキ文具店』、恩田陸『夜のピクニック』、群ようこ『かもめ食堂』、天童荒太『悼む人』、益田ミリ『僕の姉ちゃん』シリーズ、角田光代『紙の月』、三浦しをん『舟を編む』、東野圭吾『宿命』、ヨシタケシンスケ『メメンとモリ』、 鈴木のりたけ『大ピンチずかん1,、2』など翻訳歴約32年の間に300冊以上を担当。著書に、エッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』(日本語版平凡社刊)、『面倒だけど、幸せになってみようか』『ある日、心の中にナムを植えた My Dog's Diary』『スターバックス日記』 などがある。
日本語版のエッセイが今年11月に発売予定。

권남희
1966년, 대구 출생. 일본문학번역가, 에세이스트. 지은 책으로 『번역에 살고 죽고』 『귀찮지만 행복해볼까』『혼자여서 좋은 직업』『어느 날 마음속에 나무를 심었다』『스타벅스 일기』가 있으며, 옮긴 책으로 『빵가게재습격』『무라카미 라디오』『밤의 피크닉』『달팽이식당』『츠바키 문구점』『카모메식당』 『애도하는 사람』 『종이달』 『배를 엮다』 『누구』『라이온의 간식』 『숙명』 『무라카미 T』 『메멘토모리』 『위기탈출도감1,2』 외에 많은 작품이 있다. 올해 11월에 일본어판 에세이 발매 예정.






村井理子

1970年、静岡県生まれ。翻訳家、エッセイスト。主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』『ハリー、大きな幸せ』『家族』『はやく一人になりたい!』『村井さんちの生活』 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』『ブッシュ妄言録』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『ふたご母戦記』『ある翻訳家の取り憑かれた日常』『義父母の介護』『エヴリシング・ワークス・アウト 訳して、書いて、楽しんで』など。主な訳書に『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『エデュケーション』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』『消えた冒険家』『射精責任』『PARIS The Memoir』『ハリウッドのプロデューサー、英国の城をセルフリノベする』など。

무라이 리코
1970년, 시즈오카현 출생. 번역가, 에세이스트. 주요 저서로 『오빠가 죽었다』 『낯선 여자가 매일 집에 온다』 『필요 없지만 고마워: 항상 무언가에 쫓기고, 누군가를 위해 지쳐있는 우리를 구원하는 기술』 『하리, 커다란 행복』 『가족』 『빨리 혼자가 되고 싶어!』 『무라이 씨 집의 생활』 『무라이 씨 집의 꽉꽉 채운 오븐구이』 『부시 망언록』 『갱년기 장애인 줄 알았는데 중병이었던 이야기』 『책 읽고 나서 산책 가자』 『쌍둥이 엄마 분투기』 『어느 번역가의 홀린 듯한 일상』 『시부모 간병』 등이 있다. 주요 번역서로 『요리가 자연스러워지는 쿠킹 클래스』, 『에듀케이션』, 『포식자 : 미국 전역을 충격에 빠뜨린 매복형 연쇄 살인마』,『사라진 모험가』, 『책임감 있게 사정하라』, 『PARIS The Memoir』, 『헐리웃 프로듀서, 영국의 성을 셀프 리노베이션하다』등.


X:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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