2025.4.8
認知症となった母と会うのが怖かった 第8便 子の心に後悔を残す実の親子間の介護
300冊以上の日本文学作品を韓国語に翻訳されたクォンさんのエッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』を村井さんが読んだことがきっかけで、メールのやり取りが始まりました。
翻訳家であること、介護を経験をしていること、愛犬を亡くしたこと、そして50代女性という共通点が次から次へと出てきて…語り合いたいことが尽きないふたりの、ソウルと大津の間を飛び交う往復書簡エッセイです。
☆第1便と、第2便は韓国語でも読めます!
バナーイラスト 花松あゆみ
第8便
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ナミさんへ
お元気ですか? お手紙ありがとうございました。
私が住んでいる琵琶湖の北西部は、冬はかなり雪が降ります。今年も、去年に比べたら、たくさん降ったと思います。つい先日まで朝晩は冷え込んで、大きなストーブに火を点けていたというのに、今日はすっかり春めいて、少し暑いくらいです。春の始まりは、琵琶湖の水が淡い青色になります。冬の灰色の水が青くなると、ああ、冬も終わりに近づいたなと思います。ソウルはどんな様子でしょうか。
エッセイ集の日本語版が出版されるとのこと、おめでとうございます。一冊といわず、これから先もどんどんナミさんの言葉が日本語になり、本になることを祈っています。きっとそうなるでしょう。私にはわかります。ふふふ。
前回のお手紙では、お母様の介護の様子を詳しく書いて下さいました。壮絶な日々を送られていたのですね。ナミさんがお一人で大変な介護をされていた様子を想像して、胸が痛みました。実の親の介護は、義理の親の介護よりも大変だとよく言われます。それは、子が親を想うあまり、全力を出し切って、燃え尽きてしまうからです。そして、親からすればまったく本意ではないでしょうが、子の心に大きな後悔を残すのも、実の親子間の介護だと言いますよね。だって、介護に正解はありませんから。どれだけやっても、満点にはならないのです。もっとやってあげられたはずなのにと考えるのです。
私は自分の母が認知症になったことに気づいていませんでした。新幹線で数時間の距離の場所で離れて暮らしていたことも理由でしたが、双子の息子たちが小さい頃は、とにかく育児が大変で、母のことを思いやることもできませんでした。ある日、母の主治医を名乗る男性から電話があり、「お母さんに最後に会ったのはいつですか?」と聞かれました。もしかしたら責められるのかもしれないと考えて、身構えました。「三年ぐらい前です」と答えると男性は、「あなたは気づいていないと思いますが、お母様はたぶん認知症を患っています。そのうえ、膵臓癌です。随分痩せられて、以前の面影はありません。早く会いに来てあげてください」
私は急いで母に会いに故郷に戻りました。駅で会った母は、確かに別人のように痩せ衰えていました。目もうつろで、一緒に連れて行った双子の息子たちを見ても、感情を露にすることはありませんでした。私は母が認知症になってしまった上に、膵臓癌であると知らされたことで衝撃を受けるというよりも、母が怖くなりました。なぜ母が怖くなったのかはわかりません。彷徨うような視線が恐ろしかった。途絶えがちになる会話が震えるほど怖かった。そして母から逃げるようにして、最終的に、母を一人で病院で死なせてしまいました。これについては後悔ばかりです。頼りがいのない兄も同じように母から逃げて、遠い町に移り住み、責任を放棄したのは確かですが、兄を責めるというよりも、何もしなかった自分を責めました。母には気の毒なことをしたと今でも思っています。

義理の両親の介護を始めて六年が経過しました。今日、義理の母は、二度も家から出て、近所を徘徊してしまいました。普段はデイサービス(朝の九時から夕方の六時まで預かってくれる介護サービス)で過ごしていますが、今日は、どうしても起きることができず、デイサービスからの迎えの車に乗ることができなくて、休んでいたのです。私はあいにく、今日は遅れている原稿を書かなければならず、義母の介護は義父に任せました。でも、九十一歳の義父に認知症の義母の介護なんて無理なのです。そんなこんなで、義母は二度も徘徊。仕事を必死に済ませてから夫の実家に車を走らせましたが、義母は表情も乏しく、言葉も少なかったです。義母の小さな体のなかから、彼女の人格はほとんど溶け出してしまったようです。
義理の母の介護をしつつ、実の母の最期を思い出さずにはいられません。運命って、本当に捻れているなと思います。
前回のお手紙の最後に、ビッグニュース(?)が書かれていました。なんと新たな計画を立てていらっしゃるとのこと。やりたいことや夢が尽きないナミさん、さすがだなと思いました。「私たちは思っているよりも近い未来に会うことになりそうです」というお言葉が気になります!
前世が双子の翻訳姉妹が、会える日が来るのでしょうか?
なんだか、春に向けてすごいニュースがやってきそうです! 今日は少し暗いことを書いてしまいました。私の後悔がナミさんに伝染しませんように。
寒暖差が大きい季節です。どうぞお体に気をつけてください。
それでは、また書きます。
村井理子

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