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翻訳家、愛犬との暮らし、介護経験…共通点の多いふたりが日々思うこととは。第1便 こうして出会いました

ともに翻訳家でエッセイストの村井理子さんとクォン・ナミさん。
300冊以上の日本文学作品を韓国語に翻訳されたクォンさんのエッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』を村井さんが読んだことがきっかけで、メールのやり取りが始まりました。
翻訳家であること、介護経験をしていること、愛犬を亡くしたこと、そして50代女性という共通点が次から次へと出てきて…語り合いたいことが尽きないふたりの、ソウルと大津の間を飛び交う往復書簡エッセイです。

バナーイラスト 花松あゆみ

第1便 こうして出会いました

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 クォン・ナミ様

 お元気ですか? ナミさんと私の不思議で楽しい文通が始まってから、早いもので二ヶ月がちました。このわずか二ヶ月の間に、ナミさんとの出会いについて、一体何人の編集者に自慢げに打ち明けてきたかわかりません。私の話を聞いた編集者のほとんどが「それはきっと、翻訳の神様がナミさんと村井さんを結びつけてくれたんですよ」と言ってくれました。私も実は、そう思っています。翻訳の神様が、「クォン・ナミと村井理子。この二人を巡り合わせたら、たぶん面白いことが起きるぞ」と思って、そうしてくれたに違いない! そう思っています。きっと神様の策略。それとも陰謀か? いやいや、粋な計らいだと信じていいんじゃないかな。だってそうでなければ、説明がつかないから。
 私とナミさんとの不思議な出会いは、二〇二三年の初めのことでした。平凡社の編集者・野﨑真鳥さん(それにしても素敵なお名前)から一冊の本が届いたのです。タイトルは『ひとりだから楽しい仕事: 日本と韓国、ふたつの言語を生きる翻訳家の生活』でした。まずはタイトルにかれました。「ひとりだから楽しい仕事……確かにそうだな」と納得。翻訳という仕事は、とにかく孤独だから、孤独に耐えられる人に向いていると思っているから。そして、肝心のエッセイを読み始めたら、抜群に面白い! そして私とナミさん、なんとなくキャラがかぶってない? と、ずうずうしくも思ってしまいました。ナミさんと私の人生、ちょっと似ているかもしれない……そう思いつつ、何度も笑い、ちょっと涙もして本を閉じました。なんとなくだけれど、遠くに友だちが出来たような、そんな不思議な気持ちでした。
 

大津のコメダ珈琲店にて
大津のコメダ珈琲店にて

 そして少し飛んで、今年の五月。私は失意のどん底にいました。三月末に、自分の子どものように可愛かわいがっていた愛犬のハリーをがんで失ったからです。仕事が一切手につかず、翻訳作業は完全に止まってしまいました。エッセイの連載は締め切りがあるのでなんとか書いていましたが、それ以外の仕事は、ほとんど手につかない状態になりました。毎日、布団をかぶって寝るか、ハリーの写真を見ては悲しむ生活をしばらく送り、とうとう五月になってしまいました。二ヶ月ほど、何もしなかったことになります。そしてとうとう、決断しました。仕事を辞めようと考えたのです。なにせ、目標を失ってしまったから。それまでは、ハリーと一緒に過ごしながら翻訳するのが日常だったのに、肝心な相棒を病で失ったのなら、もう仕事をする必要なんてないじゃないですか。翻訳って、私にとってそこまで大事なものなのだろうか? 愛する存在を失ってしまったというのに、続ける価値があるの? そう考えた私は、翻訳を辞めるという、今考えたら随分大胆な決断をしました。翻訳だけではなく、私の人生の多くを占めている「書く」という行為自体を、辞めてしまいたいと考えたのです。いわゆる、逆ギレってやつです。「書く」なんて面倒なこと、もううんざりだと思いました。
 暗い目をしてそんな決断をし、知り合いの編集者全員に連絡を入れようと、大して内容もないメールを書いていたある日のことです。一通のメールが届きました。タイトルは「村井理子様へ」。特に深く考えることもなく、何気なくメールを開くと、一行目に「はじめまして!」とありました。そして二行目に「クォン・ナミと申します。やっと、メールを書きますね」。ここまで読んで、ハッとしました。え、ナミさんって、あのナミさん? え? どういうこと? 日本文学を三百冊も訳したという、私からしたら偉人レベルの、あのナミさんか⁉ ちょっと待ってよ~! と言いながら、椅子から立ち上がって、デスクの周りをうろうろ歩きながら驚きました。あの時の興奮は、今思い出しても感動します。いや、今となっては本当に愉快というか、痛快! 
 大慌てで文字を追いましたが、興奮していて、一回では内容をしっかり自分のものにすることができず、ゆっくりと二回目を読みながら、感動して涙があふれてきました。うそみたい。奇跡じゃないの? なんでこのタイミングにナミさんからメールが来るかな? 私が翻訳を辞めようと心に決めた、まさにその瞬間に。
 ナミさんからのメールには、私の愛犬が亡くなったことを知り、とても驚いたこと(ナミさんもハリーのことが好きだったんだって・涙)、私とナミさんの間には多くの共通点があると考えて下さっていること、ナミさん自身も大変な一年を送ったことがつづられていました。そんなナミさんのメールを読んで、泣いたり笑ったりしていたら、私のなかで、静かに翻訳の火がともり始めたなんて書いたら、都合が良すぎるでしょうか。それとも、大げさ? 大胆なこじつけ? 
 でもこれ、本当なんですよ、ナミさん。ナミさんからのメールを受け取り、私はあっさり、翻訳を辞めることを辞めたのです。だからナミさん、あなたは私の恩人です。翻訳の神様が私を目覚めさせるために、「ちょっとナミさん、どうにかしてよ、日本の村井理子を」と、魔法をかけたに違いない。私は思い込みが激しいタイプだから、そう考えて毎日せっせと翻訳しています。
 またお便りします。日本はとっても暑いですよ! いつか一緒に冷たいビールを飲めますように。

                               村井理子

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こんな感動ストーリーの主人公が私だなんて

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 村井理子さんへ

 理子さん、メールありがとうございました。メールを読んでいる間じゅう心臓がバクバクして、今にも口から飛び出してきそうだったので、何度も休みながら読みました。こんな感動ストーリーの主人公が私だなんて。韓国には「牛が後ずさりした拍子にネズミを捕る」ということわざがあります。日本語にするなら、「の功名」といった感じでしょうか。しがない私のメールがそんな大きなことをしたんですね。信じていただけるかどうかわかりませんが、一年ぐらい前からずっと、理子さんにメールを送らなくちゃと思っていたんです。時間と勇気がなくてなかなか行動に移せず、やっとお送りしたのが理子さんが翻訳を辞めようと決心したときだったとは……。つくづく人生はタイミングだなと思いました。本当に翻訳の神様が見守っていて、「さぁ、おまえの出番だぞ。レディ、アクション!」と叫び、ナマケモノ並みにぐうたらな私にメールを書かせてくれたのかもしれません。

 さて、それでは私も理子さんの存在を初めて知った頃にさかのぼってみます。おっしゃるとおり、昨年、拙著『ひとりだから楽しい仕事:日本と韓国、ふたつの言語を生きる翻訳家の生活』が日本で出版されました。三十年以上にわたって日本文学を翻訳してきましたが、今度は自分の著書が日本で翻訳出版されるなんて、どれだけワクワクして心震えて感無量だったことか。たとえ本が売れなかったとしても、出版されただけで光栄だと思いました。とはいっても、読まれずに消えてしまうのは悲しいことじゃありませんか。ひそかに日本の読者の反応を心配していた頃、平凡社の編集者・野﨑真鳥さんからこんなメールが届きました。

<先日、日本で大変人気のある英日翻訳家の村井理子さんという方に本書をお送りしたところ、ツイッターで「翻訳家を目指す人、現役翻訳家の皆さんも是非是非読んでください。爆笑してしまう。最高です」「最後まで面白かった。膝打ちまくって皿割れそう」と紹介してくださいました。ちなみに村井さんはエッセイストとしても活躍されていまして、まさに日本のクォン・ナミさんのような存在の方です>

 このメールをもらったときも、うれしすぎて心臓が爆発しそうでした。あらためてお礼申し上げます。このとき初めて村井理子さんを知り、村井理子さんのTwitter(現X)を発見して、カッコいいハリーのことを知りました。同じ職業を持つ人だという興味から投稿を読みはじめたら、文章と思考があまりにも私と似ているんです。これって私が言ったことじゃない? とか、私が考えてることと同じ! と思うことが何度もありました。しかも、私も認知症の母の介護に苦労していた時期だったので、認知症のお義母かあ様をケアする理子さんの話に、そうそう、そうなのよ、と共感しているうちに、心の中ではすっかり親しき同志になっていました。でもそのうち、理子さん以上にハリーのファンになってしまったんです。真っ黒で、ものすごく大きいのに、とってもかわいいハリー。電柱のように長い木の棒を湖に投げ込むと、ハリーは水の中に飛び込んで、楽しげにくわえて戻ってきます。こんなとんでもない才能を持つ子が「シルク・ドゥ・ソレイユ」じゃなくて、翻訳家仲間(?)の愛犬だなんて。私まで誇らしくなってしまいました。動画を見たことのない読者はおそらく、「電柱のよう」というのは誇張した表現だろうと思うでしょうけれど、事実なんですよ。ハリーは今日どんな棒で遊んだのかな、と投稿を心待ちにするようになりました。あ、わが家にも「ナム」というシーズーがいたんです。四年前に肝臓癌で虹の橋を渡りました。だから、ハリーを見るたびにそのキラキラ輝く背中をなでてみたくなって、キーボードの上の指がさわさわ……。

 

ソウルのスターバックスにて
ソウルのスターバックスにて

 そんな時間を過ごしながら一年近く経った今年、拙著『翻訳に生きて死んで』が日本での二冊目として翻訳出版されました。野﨑真鳥さんが送ってくださった表紙の画像を見てびっくり仰天しました。オビの推薦文が村井理子! 信じられない! 人知れずこっそり見守っていた人なんだけど!! これまで先延ばしにしていたお礼のメールを今度こそ書かなくちゃと思いました。……が、また勇気を出せず、今日書こう明日書こうと先送りしているうちに、私は長年のバケットリストのひとつだった「東京一ヶ月暮らし」につことになりました。認知症とパーキンソン病だった母が昨年末に亡くなり、私はどこへでも行ける身になったのです。東京に行く折に理子さんにお会いしてみたいという気持ちももちろんありましたが、滋賀県にお住まいだから無理かもしれない、とご連絡すること自体を最初からあきらめてしまいました。東京ではどういうわけか、Xにアクセスすることができませんでした。そして韓国に戻ってからは、東京でかかった風邪と旅疲れの後遺症が長引いて、またしばらくハリーをチェックすることができなかったのです。
 そして体調が回復してきた五月のある日、ハリーのことを思い出して理子さんのXにアクセスしたら、雰囲気とコメントがいつもと違っていました。え? どういうこと? なぜ? まさか? と思いながら投稿をさかのぼって読んでみたら、なんということでしょう、ハリーは私が東京に滞在している間に虹の橋を……あんなにさつそうと琵琶湖に飛び込んでいたハリーに突然こんなことが起こるなんて信じられません。七歳、まだ若いハリーに。驚きのあまり悲鳴を上げました。私ですら突然の死がこれほどショックで悲しいのだから、理子さんはいかばかりかと思うと心が痛みました。愛犬を見送ったことのある人間として、どうしてもなぐさめのメールをお送りしたいと思いました。そして、ぐずぐすしていたせいで、あるいは勇気を出せなくて一年間も書けずにいたメールをその場ですぐに書きました。

 こうしてメールを送った後、お返事がないので内心とても心配していました。私は失礼なことを言ってしまったんじゃないだろうか、なぐさめどころか不快にさせてしまっただけかもしれない。日本語がでたらめなせいで言いたいことをうまく伝えられず、誤解が生まれてしまったんじゃないだろうか、と。数日後、その日はちょうど健康診断を受ける日でした。十時間の絶食と三、四時間の検診を終えて疲れきっていたとき、理子さんからのお返事が届いたのです。いやぁ~、そのときも長いメールを読みながら、心臓発作を起こしそうになりました。そう考えてみると、理子さんのメールは心臓によくないみたいです(笑)。胸がいっぱいになって、とてもご本人には返信できず、野﨑真鳥さんにメールを送りました。理子さんから返信をいただいたことを自慢して、村井理子さんとの往復書簡を本にする企画も面白そうですね、と書き添えました。
 さてその翌日、理子さんから届いたメールはなんと「私と一緒に集英社で往復書簡を連載しませんか?」。
 理子さん、まさか私のメールをハッキングしました?

 私たちだけでやりとりするには惜しい話を、こんなふうに公開できることになって本当にうれしいです。話したいことがたくさんあります。次のメールが届くまで、心臓強化トレーニングをしておきますね。ソウルもとても暑いので、毎日冷たいビールが欠かせません。今日は初連載を祝して、滋賀県に向かって乾杯!
                             クォン・ナミ

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クォン・ナミ(權南姬)

クォン・ナミ(權南姬)
1966年、大邱生まれ。韓国を代表する日本文芸の翻訳家でエッセイスト。主な訳書に、村上春樹『パン屋再襲撃』『村上ラヂオ』、小川糸『食堂かたつむり』『ツバキ文具店』、恩田陸『夜のピクニック』、群ようこ『かもめ食堂』、天童荒太『悼む人』、益田ミリ『僕の姉ちゃん』シリーズ、角田光代『紙の月』、三浦しをん『舟を編む』、東野圭吾『宿命』、ヨシタケシンスケ『メメンとモリ』、 鈴木のりたけ『大ピンチずかん1,、2』など翻訳歴約32年の間に300冊以上を担当。著書に、エッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』(日本語版平凡社刊)、『面倒だけど、幸せになってみようか』『ある日、心の中にナムを植えた My Dog's Diary』『スターバックス日記』 などがある。

권남희
1966년, 대구 출생. 일본문학번역가, 에세이스트. 지은 책으로 『번역에 살고 죽고』 『귀찮지만 행복해볼까』『혼자여서 좋은 직업』『어느 날 마음속에 나무를 심었다』『스타벅스 일기』가 있으며, 옮긴 책으로 『빵가게재습격』『무라카미 라디오』『밤의 피크닉』『달팽이식당』『츠바키 문구점』『카모메식당』 『애도하는 사람』 『종이달』 『배를 엮다』 『누구』『라이온의 간식』 『숙명』 『무라카미 T』 『메멘토모리』 『위기탈출도감1,2』 외에 많은 작품이 있다.






村井理子

1970年、静岡県生まれ。翻訳家、エッセイスト。主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』『ハリー、大きな幸せ』『家族』『はやく一人になりたい!』『村井さんちの生活』 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』『ブッシュ妄言録』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『ふたご母戦記』『ある翻訳家の取り憑かれた日常』『義父母の介護』『エヴリシング・ワークス・アウト 訳して、書いて、楽しんで』など。主な訳書に『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖』『エデュケーション』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』『消えた冒険家』『ラストコールの殺人鬼』『射精責任』など。

무라이 리코
1970년, 시즈오카현 출생. 번역가, 에세이스트. 주요 저서로 『오빠가 죽었다』 『낯선 여자가 매일 집에 온다』 『필요 없지만 고마워: 항상 무언가에 쫓기고, 누군가를 위해 지쳐있는 우리를 구원하는 기술』 『하리, 커다란 행복』 『가족』 『빨리 혼자가 되고 싶어!』 『무라이 씨 집의 생활』 『무라이 씨 집의 꽉꽉 채운 오븐구이』 『부시 망언록』 『갱년기 장애인 줄 알았는데 중병이었던 이야기』 『책 읽고 나서 산책 가자』 『쌍둥이 엄마 분투기』 『어느 번역가의 홀린 듯한 일상』 『시부모 간병』 등이 있다. 주요 번역서로는 『요리가 자연스러워지는 쿠킹 클래스』 『어둠 속으로 사라진 골든 스테이트 킬러』 『메이드의 수첩』 『배움의 발견』 『포식자: 전 미국을 경악하게 한, 잠복하는 연쇄 살인마』 『사라진 모험가』 『라스트 콜의 살인마』 『사정 책임』 등이 있다.

X:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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