2023.2.23
老婆か妖婦か。激しい魔女狩りが起こった理由とは 第6回 社会の害悪の象徴として描かれる魔女
このように具体的な魔女の行為を描写しているものに対し、よりエロティシズムを強調した作品も多い。同じくハンス・バルドゥング・グリーンの手になる〈二人の魔女〉(一五二三年)は、彼の唯一の魔女を主題とした油彩画作品である。緑の大地と赤や黄、茶色に燃え上がる空。その二つが鮮やかなコントラストをなす画面内に二人の裸体の女性、同じく裸の幼児が置かれている。硫黄の色を帯びた雲は地獄の炎を彷彿とさせるが、その躍動的な動きは二人の魔女の力を具現化しているのだろう。この空と雲の描写から、天気を操る魔女のイメージも重ねられている。背を向けて佇む女性は布を高々と掲げ、もう一人はその布を被せた牡山羊の背に腰を下ろしている。その左手にあるのは、黒い龍のような生き物を閉じ込めた硝子瓶だ。水銀を象徴するこの瓶の中身は、中世以来の梅毒の治療薬でもあった。悪魔を意味する牡山羊と魔的な瓶。二人が魔女であることを仄めかすのは、これだけではない。左の女性の交差させた脚と、右の女性の結わず風になぶらせたままの髪。この二つは十六世紀において不道徳で、性的に奔放な女性を表すための視覚的な記号でもあった。解いたままの髪は、誘惑する女性や娼婦、魔女の描写に共通して見られた。さらに、右の女性の背後にいる子供は、ウェヌスと共に描かれるアモルを連想させるため、愛の女神の官能性も重ねられているのかもしれない。この画面内では、性的なものと悪魔的なものが融合し、それが魔女の力として認識されてゆくことになるのだ。
魔女のイメージは文学も源泉として、やがて視覚的言語として社会的に共有されてゆく。例えば、ホメロスの『オデュッセイア』におけるキルケー、イタリアのルドヴィーコ・アリオストの『狂えるオルランド』のメリッサやアリーチなどが挙げられるが、彼女たちは人間を動物に変身させ、逆に戻せる能力を備え、それが絵画の中でも示唆されてきた。特に、魔女キルケーは十六世紀のみならず、後の時代でも数多く手掛けられる主題となる。アイアイエー島に暮らす太陽神ヘリオスの娘キルケーは、薬草と魔術の造詣が深かった。この魔女は島を訪れた客人を調合した飲み物でもてなし、動物に変身させ家畜としていた。オデュッセウスの一行もまた、キルケーの館で豚に姿を変えられたが、伝令神ヘルメスから、魔術の効果を消す薬草モーリュを与えられたおかげで、ただ一人オデュッセウスは難を逃れることができたという。十六―十七世紀の画家ジョバンニ・バッティスタ・トロッティは、この変身の魔術を主題に取り上げ、〈オデュッセウスの仲間を人間の姿に戻すキルケー〉(一六一〇年)では、身体に塗った軟膏によって、部下たちは人間に戻ることができた。
記事が続きます