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美術史上初の静物の描き手、カラヴァッジョが絵の中に込めたものとは 第4回 失われゆくもの、移ろうものの表現者たち

時代を映す鏡としての静物画

 その一方で、ヴァニタスを表す静物画は、ネーデルラントを中心に時代を映す鏡でもあった。ヤン・ブリューゲルの〈青い花瓶の花束〉(一六〇八年頃)は、移ろう美を意味する花というモチーフを扱っているが、そこにはさらなる意味も重ねられていた。
 暗色の背景から浮かび上がるように、色合いも種類も多様な花が咲き誇っている。木製の卓の上に置かれた磁器の花瓶に活けられた花束は、一つ一つが鮮やかなまでに美しく、その表情の違いも細やかに描かれている。花は満開の時期の後、華やかさは失われ、枯れて散ってゆく。その儚い定めを表すかのように、卓の上には散り落ちた花も見られる。美や人生の虚しさを表すヴァニタスのモチーフは、一つの画面の中で咲き誇り、そして地に落ち、時間の経過とその先にあるものを見せているのだ。
 教訓的な意味と同時に、この絵画は十七世紀オランダの状況を映し出している。当時、花瓶に活けた花を描いた「花卉かき画」は非常に人気であった。アジア圏とヨーロッパを繋ぐ東インド会社の設立によって、東西貿易は様々なものをヨーロッパにもたらし、大きな流行が生み出され、投機のきっかけとなっていった。その一つが、「チューリップ・バブル」である。オスマン・トルコから輸入したチューリップが大きなブームとなり、熱に浮かされたように愛好家たちの間で高額の取引がなされてゆく。〈青い花瓶の花束〉にも色合いの異なるチューリップが見られるが、この作品の制作時期より後になると、さらにその熱狂ぶりは高まっていった。そして、東方からもたらされたものとして、水色の中国磁器の花瓶も描かれているが、その表面に浮かび上がる模様や艶やかな質感までが精緻に再現されている。
 さらに、花束のそばを浮遊する蝶は、視覚的錯覚を利用した「騙し絵(トロンプ・ルイユ)」としても機能している。西欧絵画の伝統的な技術のみならず、ここには蝶という博物学的関心も反映されているのであった。

ヤン・ブリューゲル(父)<青い花瓶の花束>1608年頃 オーストリア、ウィーン[美術史美術館]
ヤン・ブリューゲル(父)<青い花瓶の花束>1608年頃 オーストリア、ウィーン[美術史美術館]

 このように、静物画はヴァニタスの寓意を取り込みながらも、同時に当時の文化や流行の視覚的な証言としても見て取ることができる。例えば、十七世紀オランダの画家ウィレム・カルフ作〈中国茶碗とノーティラスカップのある静物〉(一六六〇年)には、アジアとの交易によりわたってきたオウム貝のゴブレットや中国磁器の果物皿が描かれている。さらに、そこに載せられた桃の果実もまた、ヨーロッパでは長らくペルシアに由来すると考えられてきた。異国の物を扱い、当時の博物学的要素も取り込んだ静物画に対し、ヘダ・ウィレム・クラースの〈銀の食器とパイのある静物〉(一六三三年)は、日常の食卓の場面を切り取ったかのような作品である。テーブルの上には、銀食器やガラスのゴブレット、白いナプキンが無造作に置かれている。皿に載っているのは、食べかけのブラックチェリーのパイであった。このように、台所の調理台や食堂のテーブルに置かれた食べ物や食器などを扱う静物画は、「晩餐画」と呼ばれている。ここでは、皺の寄せられた布地の質感や、銀食器の光沢、食べ物の手に取れそうな触感などを目で楽しむことが目的とされている。しかし、この二枚の静物画にも壊れやすいガラスの杯や腐敗しやすい果物、倒れた銀の杯などがヴァニタスのモチーフであるだろう。特に、どちらにも共通する皮を剝きかけたレモンは、思いがけない人生の苦渋を表すモチーフとしてよく用いられたものでもあった。
 

ウィレム・カルフ<中国茶碗とノーティラスカップのある静物>1660年 スペイン、マドリード[ティッセン・ボルネミッサ美術館]
ウィレム・カルフ<中国茶碗とノーティラスカップのある静物>1660年 スペイン、マドリード[ティッセン・ボルネミッサ美術館]
ヘダ・ウィレム・クラース<銀の食器とパイのある静物>1633年 オランダ、ハールレム[フランス・ハルス美術館]
ヘダ・ウィレム・クラース<銀の食器とパイのある静物>1633年 オランダ、ハールレム[フランス・ハルス美術館]

 十七―十八世紀オランダは、静物画というジャンルの黄金期を迎え、観る者の感覚を惑わすほどの澄明な写実性が展開してゆくことになる。その絵画技術は、描かれた空間と観る者のいる現実の間に横たわる境界を、さらに曖昧にするものだったのだろう。一方で、映像技術の進んだ現代において、それは「写真的」としか捉えられないかもしれない。しかし、この視覚表現によって、物に寄せられた人の眼差し、それが生み出した生活や文化など、絵の中に息づくものまでがまざまざと再現されている。その時、ある時代の声が絵画の内から響いてくるのだ。そしてそれこそが、静物画のリアリズムだという気がしてならない。
 死や虚しさを暗示し、教訓的な意味が込められた静物画。それを観る者は、隠れ潜む寓意と、目にも鮮やかな質感という二重性をでていたのだろう。世俗的な価値と結びつく物質性に重きを置くことを否定しつつも、画家の腕は非常に写実的な描き方を極めてゆく。その結果、物をいとおしむように質感の違いや、一つ一つの事物の美しさを見事に留めていった。
 ヴァニタスというジャンルは、その儚さや虚しさゆえに物にとらわれないよう鑑賞者に訴えかけている。しかし、絵画の中で、物の時間は止められ、あるひと時の姿が永遠に刻み付けられるとも言えるのではないだろうか。腐敗や変化という流れから引き離され、凍りついたように鮮やかな姿がカンヴァスに花開いてゆく。その意味で、画家は失われてゆくもの、移ろうものを留めることのできる唯一の表現者だったのだ。現実を騙すほどの美しい触感は、視覚的な表現においてヴァニタスを超えたものであった。

※1 人物名、絵画タイトルは『西洋美術の歴史 4ルネサンスⅠ』(中央公論新社/二〇一六年)『西洋美術の歴史 5ルネサンスⅡ』(中央公論新社/二〇一七年)を参考にしています。
※2 初期ネーデルランド絵画と初期フランドル絵画は、十五‐十六世紀のフランドル地方の画家たちによって制作された作品を表し、同じものを指しますが、文中では「初期ネーデルラント絵画」で統一しています。

編集協力/中嶋美保

次回は1月26日(木)公開予定です。

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石沢麻依

1980年、宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部で心理学を学び、同大学院文学研究科で西洋美術史を専攻、修士課程を修了。2017年からドイツのハイデルベルク大学の大学院の博士課程においてルネサンス美術を専攻している。
2021年「貝に続く場所にて」で第64回群像新人文学賞、第165回芥川賞を受賞。
著書に小説『貝に続く場所にて』『月の三相』、エッセイ『かりそめの星巡り』がある。

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