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美術史上初の静物の描き手、カラヴァッジョが絵の中に込めたものとは 第4回 失われゆくもの、移ろうものの表現者たち

絵画の中に留められる「ヴァニタス」(虚栄・儚さ・虚しさ)

 やがて、この虚しさや儚さを表す静物は、一つの独立した絵画ジャンルへと発展してゆくことになる。十六―十七世紀以来、アルプス以北の地域では、肖像画や世俗画の舞台の隅に収まっていた小道具に焦点が当てられるようになった。その時、物それ自体が主題となる静物画が誕生する。その背景には、プロテスタントの信仰が強いヨーロッパ北部において、聖なるものを視覚的に表現することが忌避され、宗教画の注文が減少したという状況がある。その代わりに、世俗画や静物画というジャンルが大きな発展を遂げた。なかでも静物画には、教訓的な意味が重ねられ、ヴァニタスを表す寓意が盛り込まれてゆくようになった。
「ヴァニタス」(vanitas)は、「虚栄」「空虚」「虚しさ」を意味するラテン語である。ここには、現世における価値は絶対的なものではなく、時間と共に消え失せてゆくというキリスト教的教訓が反映されている。現世の栄誉や財産、知識、美などは全て儚く、死という絶対的なものの前では虚しい、とする考えが視覚的表現をまとい静物画へと至る。絵画の中に留められる移ろい、いつかは失われる事物。その図像はさまざまな寓意性を帯びてゆくことになる。時の移ろいを表す砂時計や懐中時計、生の短さを示す蝋燭やパイプ、ランプの他、ガラスの杯や器、煙やシャボン玉など壊れやすく消えゆくものが虚しさの寓意としてよく用いられていた。また、「メメント・モリ」の意味をも含む頭蓋骨は、確実に訪れる死を表し、熟れた果実は衰退を、花は美の儚さを象徴する。さらに、肖像画でモデルを飾っていた事物もまた、ヴァニタスの意味を帯びている。音楽の一時的な快楽的性質から、楽器は刹那的な人生を、剣や甲冑などの武具は、死に対する不可抗力を表している。支配と権力の象徴としての冠やしゃく、財産や富を意味する宝石や硬貨、知識を体現した書物など、これらもまた虚しさを鑑賞者に引き起こすための装置であった。
 同時に、この寓意と教訓を深く味わうために、事物そのものを迫真的に描写することも大事だったのだろう。ヤン・ファン・エイク以降、アルプス以北の絵画における解像度の高い写実性は、静物画において素晴らしい結実を見せた。例えば、ヴァニタスの作品として、ヤーコプ・デ・へイン二世の〈ヴァニタス〉(一六〇三年)やピーテル・クラースの〈ヴァニタス、自画像のある静物〉(一六二八年頃)などが挙げられる。ここでは、あたかも触れられそうなほどの写実的表現によって、静物に込められた虚しさが留められている。

ヤーコブ・デ・ヘイン二世〈ヴァニタス〉1603年 アメリカ、ニューヨーク[メトロポリタン美術館]
ヤーコブ・デ・ヘイン二世〈ヴァニタス〉1603年 アメリカ、ニューヨーク[メトロポリタン美術館]
ピーテル・クラークス〈ヴァニタス、自画像のある静物〉1628年頃 ドイツ、ニュルンベルク[民族美術館]
ピーテル・クラークス〈ヴァニタス、自画像のある静物〉1628年頃 ドイツ、ニュルンベルク[民族美術館]
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石沢麻依

1980年、宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部で心理学を学び、同大学院文学研究科で西洋美術史を専攻、修士課程を修了。2017年からドイツのハイデルベルク大学の大学院の博士課程においてルネサンス美術を専攻している。
2021年「貝に続く場所にて」で第64回群像新人文学賞、第165回芥川賞を受賞。
著書に『貝に続く場所にて』『月の三相』がある。

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