2022.12.22
美術史上初の静物の描き手、カラヴァッジョが絵の中に込めたものとは 第4回 失われゆくもの、移ろうものの表現者たち
全体の雰囲気、色使い、モチーフ……さまざまなアプローチがありますが、細部の意味や作品世界の背景を知れば、より深く絵画を味わうことができます。
古代ギリシャ・ローマ神話、キリスト教、聖母、聖書の物語世界、寓意、異端、魔女……画家が作中に散りばめたヒントに込められた意味とは。
小説執筆と並行して美術研究を重ねる、芥川賞作家の石沢麻依さんによる西洋絵画案内です。
第4回 失われゆくもの、移ろうものの表現者たち
窓ガラス越しに目にしたのは、かすかに流れる時間の気配だった。イェーナの旧市街の奥まったところ、そこに小さな骨董品店がひっそりと佇んでいる。その窓辺に飾られた砂時計は、独り言めいた音をたてて、静かに砂を落としていた。周りにはエナメル塗りの小箱や銀製のポット、繊細な模様入りのワイングラス、きなり色を帯びたレース編み、表紙の紅が色あせた書物などが並んでいる。時間を止め、眠りという殻に覆われた小物たち。その時、ガラス越しに目にした静謐な光景は、一枚の静物画になっていた。しかし、その光景を小さく揺らめかせるのは、砂時計の中でこぼれ落ちる時間であった。細い琥珀色の糸となった砂は流れ続ける。誰かの手が引っくり返したことによって、砂時計は長い静止の後初めて、時間の流れに戻ってくることができたのだろう。これを使っていた人が、もうこの世にいないとしても、物だけは静かに時間を重ねてゆく。そんな時、私の目は物の個別的背景や歴史を追うことはしない。ただ美的な配置や、それ自体の古色蒼然とした美しさだけを映すのだ。だから、骨董品店や蚤の市など、古い時間を重ねたものが巡る場所では、事物の物語的な記憶は遠ざかり、さまざまな静物画が集うことになる。
静物は、密やかに絵画の中に描きこまれている。例えば、ある印象を装い演じる人物を描いた肖像画においても、衣服や小物はモデルのことを知る手がかりをもたらす。武具や勲章、宝飾品などは社会的地位や職業を暗示するが、身に着けるもの以外もまた、場面やモデルの雰囲気という形で意味を添えている。観る者への、静物の秘密めいた囁き。その時、舞台装置となった小物は、描かれた人を象徴的に装飾することもあるのだ。
舞台装置となる小道具に、寓意的な意味が込められた絵画の一つとして、クエンティン・マセイスの〈両替商とその妻〉(一五一四年)がある。緑のクロスで覆われた仕事机を前に、女性が時祷書のページをめくり、男性が天秤で金貨を量るさまを鑑賞者は目にするだろう。十六世紀初頭フランドルの商人の日常場面が取り上げられたこの作品は、風俗画と位置づけられるものである。この種の絵画は特定の誰かではなく、ある時代に生きる市井の人々の様子や生活を主題としていた。マセイス作品の場合、商人夫婦の行為や服装のみならず、机の上や二人の背後の棚に並ぶ物も当時の雰囲気を醸し出している。同時に、一つ一つの質感が丁寧に描きこまれた静物は、彼らの居る室内を寓意で満たしてもいた。
女性が手元に置く時祷書(1)。その挿絵には、聖母子の姿が精緻な描写で浮かび上がっている。棚の上部にある水差しや、そこから下がるガラス玉を連ねたロザリオ(2)が聖母の純潔を表す寓意であるように、この書物もまた聖性を象徴するものとなっている。しかし、彼女の眼差しは時祷書から離れ、夫である商人の手の方に向けられていた。そして、男性が手にする天秤(3)には、二重の意味が込められている。宗教画主題である「最後の審判」において、天秤は人間の魂の善悪を量る象徴として描かれることが多い。祈祷道具のロザリオと並置されているため、下の棚にある黒い天秤にも、この聖なる寓意が重ねられているのかもしれない。その一方で、公正な取引という両替商の心得の意味も含んでいるのだろう。その根拠として、現在は失われた額縁が挙げられてきた。そこには、旧約聖書「レビ記」十九章三十五―三十六節が記されていたという。「不正な物差し、秤、升を用いてはならない。正しい天秤、正しい重り、正しい升、正しい容器を用いなさい」。当時、絵画の中や額縁には、聖書から抜粋した一節やラテン語の格言などが添えられ、主題の教訓的な意味が強調されていた。商人の手の中で、金貨の重さを正しく量る天秤。この聖書の箴言と天秤の描写が意味するものは、宗教的な教訓のみならず、職業上の倫理観にまで及んでいる。
しかし、男性の手元にあるのは、聖なる時祷書とは対照的なものばかりだ。金の蓋つきゴブレット、金貨、黒い天鵞絨の上の真珠の粒、そして細く巻いた布にはめられた指輪(4)。これらは富や物質的な価値を表し、世俗を象徴するものでもあった。商人の妻の眼差しは、こちらの事物に吸い寄せられている。となると、彼女の心もまた世俗に囚われているのかもしれない。同時に、絵画内の静物は、物である以上いつかは壊れる運命にあるため、金貨や宝飾品は富への虚しさをも体現している。上の棚の水差し、銅鏡と果物、巻物や書物、下段のロザリオのガラス玉、火の消えた蝋燭なども、同じように虚栄や儚さを示す典型的なモチーフであった。
さらに、この絵画空間に多層的な意味を添えているのが、机に置かれた凸面鏡(5)であった。鏡に映り込んだ窓の桟は、聖性の象徴である十字架の形をとっている。そこで本を読み耽る老いた男性は、赤い衣服に帽子をまとっている。この服装によって枢機卿と分かる人物は、聖人と結びつけることができるだろう。しかし、鏡が映し出した姿は、夫婦の商売の場とは結びつかず、空間的な断絶が感じられるのではないだろうか。となれば鏡像が示すのは、両替商の居る世俗的な現実とは異なる、聖なる世界である可能性が高い。そう考えると、室内情景は物質的な世界で、儚く虚しいものであふれているが、鏡が映し出すものは精神的で神の世界に近い空間という構成となっているのかもしれない。
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