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ドイツが豊かな森を描く一方、ボスやブリューゲルが目指した表現とは 第3回 絵の中の物語を包む風景の主役感

アルブレヒト・デューラーの重要な役割

 このような自然風景は過去に埋もれることなく、それを見つめる鑑賞者の現在にも続いてゆく。写実的に風景を記録した先駆者のひとりとして、アルブレヒト・デューラーが重要な役割を果たしている。この画家は、第一次イタリア旅行(一四九四―九五年)の途上で素晴らしい水彩スケッチに取り組んでいた。例えば、ヴェネツィアからニュルンベルクへ戻る時に描いた〈アルコの眺望〉(一四九五年)は、城砦を戴いた岩山の奇観を捉えたものである。特徴的な地形とその裾野に広がる森やオリーブ畑、城壁に囲まれた都市の姿、さらに岩肌や植物の感触までもが鮮やかに再現されている。絵の奥へと延びる道を目でたどれば、旅という時間にのみ込まれ、空間もまた画面を越えて広がってゆくことだろう。
 デューラーの後に続くように、風景を新たな視点で取り上げたのが、十六世紀前半のドナウ派の画家たちだった。ドイツ南部のレーゲンスブルクやパッサウからウィーンまで、ドナウ川流域地方を中心として生まれた自然描写は、ロマン主義的な雰囲気をまとった独特のものである。それは豊かな色彩の効果を帯び、人物の心象と呼応するように躍動的で、ドラマチックな性質がうかがえる。ドナウ派の絵画の森の表情はとても豊かだ。ドイツに広がる森を歩く人たちは、樹木や土の性質を読み取り、歌うように植物の名前を口にする。その親しみのこもった眼差しが、かつての絵画にも反映されているのかもしれない。

アルブレヒト・デューラー〈アルコの眺望〉1495年 フランス、パリ[ルーヴル美術館]
アルブレヒト・デューラー〈アルコの眺望〉1495年 フランス、パリ[ルーヴル美術館]

 このドナウ派の始祖とも言えるアルブレヒト・アルトドルファーは、物語的場面を含まない風景画を最初に描いた画家である。〈ヴェルト城の見えるドナウ川の風景〉(一五二〇―二五年)はその一例で、前景に額縁や門のように樹木が左右に立ちはだかり、その間から中景の白に続く道が延び、後景には青い影を帯びた山とドナウ川が顔をのぞかせている。そして、移りゆく色彩をたたえた空が、画面を大きく占めていた。夕暮れの穏やかなもやがかった光景は、風景それ自体がひとつの物語性を帯びている。また、この画家の宗教画や神話画でも、風景は不思議な存在感を示していた。アルトドルファーの〈龍と戦う聖ゲオルギウス〉(一五一〇年)の画面構成は、従来のものとは大きく異なっている。画面のほとんどを覆いつくすのは、シダ植物に似た形状の樹木である。幾何学的な配置によって、物語の舞台を形作ることはなく、奔放に伸びたそれは物語を隠して謎めいたものにしているようだ。ここで主題となっているのは、ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』等が伝える、生贄いけにえの王女を救おうとする聖人の龍退治であった。伝統的に、この主題はパオロ・ウッチェロの〈聖ゲオルギウスと竜〉(一四七〇年頃)のように、書割めいた風景を前にした躍動的な動きや緊迫した戦いの状況を描いたものが多い。そこでは、風景は副次的な要素となっている。しかし、アルトドルファー作には、そのような演劇性はみられない。画面下に赤と緑に彩られた龍と、それに対峙たいじする白馬に乗った聖ゲオルギウスの姿が小さく描かれているだけだ。聖人と白馬、そして龍は、戦いの最中とは思えないほど静謐な様子を見せている。さらに、生贄である王女の姿も森の中にはない。この画面は、遠くに隠れた王女の視界に映る光景なのかもしれない。そして、主題である聖人の龍退治よりも、それを取り囲む樹木の枝葉の方が躍動感にあふれている。樹木の形状がリズムとなり動きを感じさせ、森の独自の時間が流れているとも見えるのだ。

アルブレヒト・アルトドルファー〈ヴェルト城の見えるドナウ川の風景〉1520年-1525年 ドイツ、ミュンヘン[アルテ・ピナコテーク]
アルブレヒト・アルトドルファー〈ヴェルト城の見えるドナウ川の風景〉1520年-1525年 ドイツ、ミュンヘン[アルテ・ピナコテーク]
アルブレヒト・アルトドルファー〈龍と戦う聖ゲオルギウス〉1510年頃 ドイツ、ミュンヘン[アルテ・ピナコテーク]
アルブレヒト・アルトドルファー〈龍と戦う聖ゲオルギウス〉1510年頃 ドイツ、ミュンヘン[アルテ・ピナコテーク]
パオロ・ウッチェロ〈聖ゲオルギウスと竜〉1470年 イギリス、ロンドン[ ナショナル・ギャラリー]
パオロ・ウッチェロ〈聖ゲオルギウスと竜〉1470年 イギリス、ロンドン[ ナショナル・ギャラリー]

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新刊紹介

石沢麻依

1980年、宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部で心理学を学び、同大学院文学研究科で西洋美術史を専攻、修士課程を修了。2017年からドイツのハイデルベルク大学の大学院の博士課程においてルネサンス美術を専攻している。
2021年「貝に続く場所にて」で第64回群像新人文学賞、第165回芥川賞を受賞。
著書に『貝に続く場所にて』『月の三相』がある。

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