2022.10.27
画家の目と絵筆を通して鮮やかによみがえる、土地の姿と営みと 第2回 時間と空間を再現する風景描写
土地と日々の営みは深く結びつき、そしてそこを支配する領主の宮廷とも切り離すことはできない。一四一一年から一六年にかけてランブール兄弟によって手がけられた『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』は、フランスの中世ゴシック美術の装飾写本である。これは、画家たちが仕えていた、フランス王シャルル五世の兄弟、ベリー公ジャン一世の依頼による未完成の作品である。時祷書とは、キリスト教信徒の個人礼拝のために編纂された祈祷書を指す。定時課という一日に八回、決まった時刻に行われる祈りの際に用いられる祈祷文や聖歌が書物に収められているほか、聖母や聖人、死者に対する特別な祈祷文なども含まれ、ページ内は聖書の一場面や聖人、聖母の肖像、動植物や昆虫、貝や建築物など細やかで華麗な装飾が施されている。このような書物は王侯貴族や裕福な市民層を中心に普及してゆくが、十五世紀パリの工房で発展した絵画技術は、国際的に大きな影響をもたらした。
通常、時祷書には、精緻な月暦画(カレンダー)と呼ばれる挿絵が配されている。一月から十二月までの一年を表した絵画の空に描かれているのは、黄道十二宮のシンボルであった。例えば、同書の〈八月〉の二重の半円状の天空の外側には、深い青を湛えた星天が広がり、そこに獅子(1)と処女(2)が見られる。内側の半円を占めるのは、雲の上を進む有翼の馬にひかせた馬車(3)だ。それを操るのは、冠を戴き長い髭を生やした男性で、その手は黄金色の光線を放つ太陽を掲げている。
この十二枚の月暦画の主題は、農作業や宮廷行事であった。前景に鷹を手に留まらせた騎乗の貴婦人や伴の者、猟犬が狩りへ連なる場面が描かれた〈八月〉のように、月暦画の貴族たちが参加する祝宴や騎馬行列などは、実際にベリー公の許で行われた宮廷行事だったのだろう。同様に、領民が従事する農作業からもまた、季節との関係性が浮かび上がってくる。例えば、〈十月〉は種蒔きの場面を描いたものであるが、これは当時の秋の季語とも言うべき主題であった。前景の畑には、赤い服に黒い帽子姿の農夫(1)が鋤をつけた馬に乗って土を耕し、青い服の男(2)が白い前掛けに盛った種を蒔いている。鳥が種をついばみ、二人から少し奥まった所にある畑には、弓に矢をつがえた案山子(3)が描かれている。畝の線や地面に影の落ちる具合など、単に装飾的な挿絵ではなく、観察に基づいた自然主義的な描写をみせていた。
そして、もう一つ特徴的なのが、背景に描かれた城館の存在であった。城館は土地が匿名になることを防ぎ、現実の空間との結びつきを際立たせ、土地の名刺代わりともなるだろう。その多くはベリー公の領地にある城館を描いたものだが、〈十月〉の背景にセーヌ川をはさんで聳え立つのは、パリのルーヴル宮殿である。この宮殿の姿は、ベリー公の城館であるネル館からの眺めであると考えられている。十八世紀フランス革命の際、美術館へと改装されたルーヴル宮殿は、十四世紀までは軍事城塞として利用され、シャルル五世により王宮へと改築された。ここで宮殿は都市の中心であり、政治や経済の中枢を象徴するものでもある。個人礼拝のために制作されたこの時祷書を通して、日々の勤行の際に注文主は、手の内に開いた挿絵に土地の姿、そしてそこにある理想的な営みを目にすることになる。つまり、祈りという反復的な行為の中で、神の加護という聖性と、政治や経済という世俗的な統治が結びついていたのだろう。
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