2022.10.27
画家の目と絵筆を通して鮮やかによみがえる、土地の姿と営みと 第2回 時間と空間を再現する風景描写
全体の雰囲気、色使い、モチーフ……さまざまなアプローチがありますが、細部の意味や作品世界の背景を知れば、より深く絵画を味わうことができます。
古代ギリシャ・ローマ神話、キリスト教、聖母、聖書の物語世界、寓意、異端、魔女……画家が作中に散りばめたヒントに込められた意味とは。
小説執筆と並行して美術研究を重ねる、芥川賞作家の石沢麻依さんによる西洋絵画案内です。
第2回 時間と空間を再現する風景描写
カンヴァスという窓から覗くのは、切り取られた街の風景である。記憶の回廊に穿たれた窓のひとつが見せるのは、子供の頃目にしたモーリス・ユトリロの〈コタンの袋小路〉(一九一〇―一一年)の白の静謐さに満ちた通りの眺めであった。憂鬱さの中にどこか甘やかさを秘めた灰色の曇り空の下、白の小径は画面奥に向かって延び、長い石段へと続いてゆく。その細い階段も通りの両側に並ぶ建物も、雪を思わせる白に静まり返っていた。「哀しい」という言葉が相応しく思えるこの白の街の一角は、画家の愛したパリのモンマルトル地区を描いたものである。一九〇九―一四年頃、「白の時代」と呼ばれる時期に、ユトリロは白に漆喰を混ぜた絵の具を用いて、モンマルトルの街並みを数多く描いていた。画家の眼差しを通して、白の奥行きのある表情と街の肖像を私たちは知ることになる。
都市は様々なかたちで描かれてきた。風景画というジャンルの成立と共に、画家が生きた場所としての都市や街の姿は、鮮やかに写し取られてゆく。独自の色遣いや構成、視点を通して、画家と土地は結びついてゆく。例えば、プーシキン美術館に所蔵されているクロード・モネの〈カピュシーヌ大通り〉(一八七三年)は、黄金色の光と灰色に沈む陰の領域を美しく際立たせたパリの通りを描いたものである。この有名な大通りは、第二帝政期のナポレオン三世とセーヌ県知事オスマンによるパリ改造によって、大きく変化したもののひとつであった。印象派の画家たちの多くは、この都市整備を通して変容するパリという街を、カンヴァスの中に留めてきた。また、フィンセント・ファン・ゴッホのアルル時代の作品のひとつ〈夜のカフェテラス〉(一八八八年)には、美しく澄んだ瑠璃の青に満ちた夜空の下、アルルの暗闇に沈んだ街並みと黄色の灯火に照らされたカフェテラスが、コントラストをなして浮かび上がっている。このような都市は、画家の創作や生活と切り離されることなく、独特の表情がその目を通して呼び起こされるのだ。画家は都市の肖像画を描く。個人肖像と同じく、土地の印象もまた深く汲み取られてゆく。その時、都市と画家の間に主観的で親密な関係が成立するのだろう。
しかし、風景画の成立以前、都市は一種の記号のようなものであり、背景に収まる存在であった。同時にそれは公的な意味を帯び、地上における理想的な地という顔が与えられていたのである。そのために、画面内に描かれた都市は、聖なる出来事や歴史的な事件の空間的な位置づけを強調し、それが鑑賞者のいる現実の延長であることを明らかにするのである。
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