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酒井順子「言葉のあとさき」

「OL」は進化するのか

 さらにさかのぼれば、昭和二十年代は「サラリー・ガール」という言葉も使用されていました。サラリーマンと対をなす言葉であったわけですが、ここからわかるのは、「サラリー・ガール」「ビジネス・ガール」の時代まで、職場で望まれていたのは、あくまで「ガール」だったということです。「エレベーター・ガール」や「バス・ガール」といった言葉があったことからもわかるように、働く女性は若いことが前提だった。「ガール」でない年頃まで働く女性もいたでしょうが、「〇〇ガール」という言葉からは、被雇用者として働く女性を取り巻く視線のあり方が感じられます。
 男性会社員は、自社の女性社員のことを「うちの女の子」と言っていました。実際、かつての日本では、女性社員の定年が三十代という会社もあり、多くの女性は結婚したら会社を辞めていました。「うちの女の子」という言い方はあながち間違いではなかったのであり、OLすなわちオフィス・レディーと呼ばれるようになったことは、一つの進化だったのかも。
 女性社員が「ガール」や「女の子」と呼ばれた背景には、企業における疑似家父長制があったようにも思います。かつての日本企業では、社長が父親で社員が子供、というように、会社を「一家」と捉えるケースがままありました。下部組織においても、部門長がお父さんで、若手の社員が息子・娘……、というプレイをすることで結束力や滅私奉公力を高めたのです。
 その時、若い女性社員は擬似家族における末娘の役割。無邪気な女の子として部署に明るさや華やかさをもたらすことを期待されていたからこそ、「末娘」の役割を演じられる間だけ、女性は会社勤めが許されたのでしょう。
 サラリー・ガールやビジネス・ガール、そしてオフィス・レディーといった言葉の源流に存在するのは、「職業婦人」です。「職業婦人」は大正時代から使用されるようになった言葉ですが、事務員であれ教師であれまた販売員であれ、仕事を持つ女性達は「職業婦人」と呼ばれていたのです。
 農家や商家などに生まれたり嫁いだりして、家業としての仕事を担う女性達は、江戸時代から存在し続けていました。が、彼女達は大正になっても「職業婦人」と言われることはありませんでした。
 職業婦人とはすなわち、家とは別の場所に通勤して、給料をもらう女性のこと。宿命として家業に就くのではなく、自分から職業を求めて被雇用者として生きる女性は少数派だったため、珍しい生き物としてカテゴライズし、指差して眺めずにはいられなかったものと思われます。
 職業婦人という言葉は当初、差別的な響きを持っていました。女なのに外で働かざるを得ないかわいそうな人、といったイメージが大正時代の「職業婦人」にはあったようで、職業婦人であることを恥じて、コソコソと働きに行く人もいたのです。
 次第に、困窮家庭の女性が仕方なく働きに出ているというイメージは薄れ、「仕事に生きがいを覚える女性もいる」という認識は深まっていきます。が、「職業婦人」という言葉が使用されなくなった後も、職業を持つ女性に対する蔑視は、長く続きました。BGという呼称が登場してからも、
「同じ会社で働くBGと結婚するのは恥」
 という感覚を持つ男性がいましたし、OLの時代になってからも、女が外で働くと臭みがつくということで、学校を卒業しても就職せずに、結婚までは「家事手伝い」をする、という女性が存在していたのです。

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。立教大学社会学部観光学科卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『下に見る人』『ユーミンの罪』『地震と独身』『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『次の人、どうぞ!』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『処女の道程』『鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む』など多数。

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